量子力学の言語的コペンハーゲン解釈 (=量子言語)
[A]:理系の西洋哲学史;慶應義塾大学院講義ノート (KOARA; 2018) リンク付き目次はここをクリック、
[B]:コペンハーゲン解釈;量子哲学,慶應義塾大学院講義ノート (KOARA; 2018) リンク付き目次はここをクリック
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(by 石川 史郎)
大学院の講義はいつも未完のテーマを扱うことにしている. 上の大学院の講義[A,B]も試行錯誤で未完のテーマで進めてきた。一番重要なのは、「テーマ」の魅力で、そうならば「誤」も多少はあるとしても、先に進めば自然と解消するだろう。 最近、「現時点の集大成(=最新結果)」を 次の2冊 [HWP(← A), LCI(← B)]に著した. 英語で書いたということは、「本気」と言うことである.
[HWP]: | S. Ishikawa: "History of Western Philosophy from a Perspective of Quantum Theory - Introduction to the theory of Everyday Science - ( 2023), 425 pages , Shiho-Shuppan Press (1ドル), |
[LCI]: |
S. Ishikawa: "Linguistic Copenhagen interpretation of quantum theory
- Why does statistics work in our world? -
( 2023), 351 pages ,
Shiho-Shuppan Press (1ドル),
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最重要の主張は「量子言語(=日常科学の理論)の提案」であるが、量子力学の言葉で矮小化して言うならば、「言語的コペンハーゲン解釈が唯一の真のコペンハーゲン解釈である」となる。
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[HWP, LCI]の概要は以下の通り:([哲学]と言っても、ここでは「哲学の科学的部分」に限定する. 「如何に生きるべきか?」などを私ごときが力説しても誰も耳を貸さないだろう)
つい最近まで、哲学は言葉遊びと思っていた. プラトン,デカルト、カント、ウィトゲンシュタインとか「頓珍漢なこと」をツベコベ言っていて、何で彼らが偉いのかさっぱりわからなかった. 難解とされている本を読んだ(or, 買った)ということにステータスを感じる性格の人たちがいることは確かで、そういう人たちが哲学のマーケットを支えているのだろうか? まさか、そんなわけはないだろうが、哲学の無意味な難解さは意味不明だった.
もう一つわからなかったのが、「(量子力学の)コペンハーゲン解釈」である. なんでシュレーディンガーの猫みたいな「頓珍漢な議論」が出てくるのかわからなかった. また、相対性理論には「解釈」がなくて、量子力学に「解釈」があるのか? とかである。 現時点での「コペンハーゲン解釈の説明」で最良なのは、
- 「ツベコベ言わずに黙って計算せよ!」 ("shut up and calculate!" (by David Mermin))
しかし、哲学も量子力学も大天才たちが作り上げた学問である. したがって、二つの「頓珍漢」は真理に違いないと信じるのが「賢い凡人の立場」だろう. 上のrefs. [HWP, LCI]では、この考えをさらに進めて、
と主張する.
実は、もう一つ「頓珍漢なこと」がある. これは小中高と子供のころから「当たり前」と教育されているので、「頓珍漢」と感じないかもしれないが、「確率」である. 現代科学において最も基本的な学問は、「力学(相対性、ニュートン)」と「統計学」の二つである.文系でも、大学初年度に、「力学」と「統計学」の講義があるのだから、この二つが最も基本的かつ実用的なのは誰もが認めていることなのだと思う.ここで、「力学」は、盤石な基盤を持っている最も尊敬されている基礎的学問であり、難癖をつける余地がない.難癖をつけたいのならば、アインシュタインぐらいになってからでないと誰も相手にしてくれないだろう. さて、問題は、「統計、確率」である.高校数学の教科書での「確率・統計」の説明では、「試行、試行者」という概念が導入されている. これは教科書の執筆者の高い見識を示しているが、数学の概念の説明に「人間」を導入するなんていうことは本来はあり得ないことである. したがって、「確率」は数学の中に分類されているが、数学であるわけがない.(ニュートン力学が数学の分野でないように)確率も数学でない. やはり、「二元論的観念論」という概念を放棄した形で作られた統計学は本来の形からかなり歪曲された姿になっているのだと思う. こうなると、
と言える.つまり、測定者=observer, 被測定物=system (=matter), として、次のDescates Figureを想定したくなる.
- (言語的)コペンハーゲン解釈とは、「科学的か(=語り得ることか)?、そうでないことか(=語り得ないことか)?」の線引きルールのことである。
- The Limits of my language means the Limits of my world
- Whereof one cannot speak, thereof one must be silent
ウィトゲンシュタイン等(分析哲学)が失敗した理由は、今から思えば簡単である。 20世紀初頭には人類最大の知見として、
- 「論理的」を追究すれば、「数学という言語」を得る。(数学は論理から生まれた)
- 「論理的」よりも、「数量的(or 統計的)」
- ということは、統計学の本質は未発見で、凡人が挑戦しても成功するチャンスがある魅力的な分野
統計学は頓珍漢なことが表面化しないように矮小化(数学化)してしまった学問で( つまり、デカルト図式からの出発を放棄した学問で)、美しさを犠牲にしてしまった. 要するに、
一元論的実在論の科学化がニュートン力学だとするならば、二元論的観念論の科学化は 量子言語である.
ニュートン以前の一元論的実在論(=物理学)が星占いだと思えば、量子言語以前の二元論的観念論 (デカルト、カント、ウィトゲンシュタイン)が頓珍漢なことも納得がいく.もちろん、哲学者たちを軽薄に思っているわけではなくて、その逆である.ニュートンになびかなかった彼らの強い信念には感服するしかない.「時間は無い」とか「物心二元論」とか「The limits of my language mean the limits of my world」とか頓珍漢な発言をしたとしても、結果的には、
要するに、2種類の科学があるのだ. アリストテレス流(一元論的実在論)とプラトン流(二元論的観念論)で、次のように発展してきたと考えたい.
さて、深淵そうな理屈を捏ねても始まらない.重要なことは、「有名な未解決問題をどんどんと解く」ことである. 上のref. [43]で見るべきは、「まえがきのList(D1)」と「あとがきのList(D2)」である.論理, 哲学、統計学、量子力学の有名な未解決問題(一つ解けば博士号をgetぐらいの未解決問題)が50個ぐらい一挙に解けるのである.もちろん、哲学史上最難関の未解決問題「ゼノンのパラドックス」も解ける(「ゼノンのパラドックス」というとふざけているのでは?と思われるかもしれないが、本気である).代表的なのを50個ぐらい適当に選んだだけなので、すこしやる気になれば、100個や200個も簡単にできることは当然だろう. 余程の有望なテーマを持っている大学院生(実は、このような学生は滅多にいない)は別として、普通の大学院生ならばこれに飛びつかない手はない.まずは早急にref. [43]を読むことである.