大学院の講義はいつも未完のテーマを扱うことにしている. 上の大学院の講義[A,B]も試行錯誤で未完のテーマで進めてきた。一番重要なのは、「テーマ」の魅力で、そうならば「誤」も多少はあるとしても、先に進めば自然と解消するだろう。 最近、「現時点の集大成(=最新結果)」を 次の2冊 [HWP(← A), LCI(← B)]に著した. 英語で書いたということは、「本気」と言うことである.
[HWP]: S. Ishikawa: "History of Western Philosophy from a Perspective of Quantum Theory - Introduction to the theory of Everyday Science - ( 2023), 425 pages , Shiho-Shuppan Press (1ドル),
[LCI]: S. Ishikawa: "Linguistic Copenhagen interpretation of quantum theory - Why does statistics work in our world? - ( 2023), 351 pages , Shiho-Shuppan Press (1ドル),
[HWP]と[LCI]の [草稿] をphilpapers [ https://philarchive.org/rec/ISHHOW-3] [draft (free); https://philarchive.org/rec/ISHLCI-3] にアップロードしたので、まずこれをダウンロード(無料)して読んでもらいたい.
最重要の主張は「量子言語(=日常科学の理論)の提案」であるが、量子力学の言葉で矮小化して言うならば、「言語的コペンハーゲン解釈が唯一の真のコペンハーゲン解釈である」となる。
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[HWP, LCI]の概要は以下の通り:([哲学]と言っても、ここでは「哲学の科学的部分」に限定する. 「如何に生きるべきか?」などを私ごときが力説しても誰も耳を貸さないだろう)

つい最近まで、哲学は言葉遊びと思っていた.  プラトン,デカルト、カント、ウィトゲンシュタインとか「頓珍漢なこと」をツベコベ言っていて、何で彼らが偉いのかさっぱりわからなかった. 難解とされている本を読んだ(or, 買った)ということにステータスを感じる性格の人たちがいることは確かで、そういう人たちが哲学のマーケットを支えているのだろうか? まさか、そんなわけはないだろうが、哲学の無意味な難解さは意味不明だった.
もう一つわからなかったのが、「(量子力学の)コペンハーゲン解釈」である. なんでシュレーディンガーの猫みたいな「頓珍漢な議論」が出てくるのかわからなかった. また、相対性理論には「解釈」がなくて、量子力学に「解釈」があるのか? とかである。 現時点での「コペンハーゲン解釈の説明」で最良なのは、
  • 「ツベコベ言わずに黙って計算せよ!」 ("shut up and calculate!" (by David Mermin))
だと思う。 これ以外の説明は「ツベコベ」だけ言っていて、私にはわからない。

しかし、哲学も量子力学も大天才たちが作り上げた学問である. したがって、二つの「頓珍漢」は真理に違いないと信じるのが「賢い凡人の立場」だろう. 上のrefs. [HWP, LCI]では、この考えをさらに進めて、
哲学の頓珍漢と量子力学の頓珍漢は同じ根っこを持つ

と主張する.

写真

Figure 0: Philosophy's silliness and the silliness of quantum mechanicshave the same root.
Statistics is a theory that has been trivialized so that its silliness does not surface

実は、もう一つ「頓珍漢なこと」がある. これは小中高と子供のころから「当たり前」と教育されているので、「頓珍漢」と感じないかもしれないが、「確率」である. 現代科学において最も基本的な学問は、「力学(相対性、ニュートン)」と「統計学」の二つである.文系でも、大学初年度に、「力学」と「統計学」の講義があるのだから、この二つが最も基本的かつ実用的なのは誰もが認めていることなのだと思う.ここで、「力学」は、盤石な基盤を持っている最も尊敬されている基礎的学問であり、難癖をつける余地がない.難癖をつけたいのならば、アインシュタインぐらいになってからでないと誰も相手にしてくれないだろう. さて、問題は、「統計、確率」である.高校数学の教科書での「確率・統計」の説明では、「試行、試行者」という概念が導入されている. これは教科書の執筆者の高い見識を示しているが、数学の概念の説明に「人間」を導入するなんていうことは本来はあり得ないことである. したがって、「確率」は数学の中に分類されているが、数学であるわけがない.(ニュートン力学が数学の分野でないように)確率も数学でない. やはり、「二元論的観念論」という概念を放棄した形で作られた統計学は本来の形からかなり歪曲された姿になっているのだと思う. こうなると、
哲学(二元論的観念論)と量子力学と統計学は同じ根っこを持つ
と主張したくなる. まじめな学問の世界に「頓珍漢」なことがゴロゴロと転がっているわけがない. あったとしたらそれらは根っこで繋がっていると思うのは自然だろう. デカルト・カントの認識論も量子測定も統計学も測定の一種なのだから、
頓珍漢の元凶は、測定(=「測定者と被測定物の二元論」)である

と言える.つまり、測定者=observer, 被測定物=system (=matter), として、次のDescates Figureを想定したくなる.

ニュートンが「リンゴが落ちる」ことから出発したように、デカルト図式(≈ [I think thefore I am])を出発点としようと宣言するのが二元論的観念論である。 しかし、 デカルト図式から一歩進もうとすれば、辺りは迷路ばかりである。迷路に陥ったとしても「当たらずとも遠からず」だったのが、J. Locke, Hume, Kant等である。 さて、迷路の中から「量子言語(=科学を語る言語)」に到達する正しい道を導いてくれる道路標識が(言語的)コペンハーゲン解釈である。つまり、
  • (言語的)コペンハーゲン解釈とは、「科学的か(=語り得ることか)?、そうでないことか(=語り得ないことか)?」の線引きルールのことである。
こう考えれば、ウィトゲンシュタインの次の言葉(≈分析哲学の奥義)は興味深い。
  • The Limits of my language means the Limits of my world
  • Whereof one cannot speak, thereof one must be silent
もちろん、ウィトゲンシュタイン(著:論理哲学論考)は「my language」を提案できなかったのだから、「語り得ないこと」も意味不明だった。 しかし、彼の進もうとした方向は正しかった。 それにしても、上の2つのウィトゲンシュタインの名言は、「さも、彼がmy language(≈量子言語)を発見した」ような自信満々な物言い」で、量子言語のセールスマンとしては、極めて有能だったと言える。

ウィトゲンシュタイン等(分析哲学)が失敗した理由は、今から思えば簡単である。 20世紀初頭には人類最大の知見として、
相対性理論、量子力学、統計学、抽象数学(今では大学の数学科の普通の数学)
等が提案された。抽象数学に関して言えば、 
  1. 「論理的」を追究すれば、「数学という言語」を得る。(数学は論理から生まれた) 
である。この発見者(貢献者)は数学科の立場では、カントール、ヒルベルト、ツェルメロ等である。哲学科の立場からは、フレーゲ、ラッセルも加わるだろう。「論理」の威力を実感すれば、[A]を拡大解釈して、「論理的に考えよ」という教え(=「論理的世界観)を信じたくなる。 この布教の先頭に立ったのがウィトゲンシュタインである。ベーコンが「力学的世界観」の布教者なら、ウィトは「論理的世界観」の布教者である。 しかし、100年以上たったいまから思うと、「論理学」より「統計学」である。 (実は、論理は普通は[2値論理]で、統計学は[多値論理(実数値論理)]だから(cf. HWP)、統計学の方が精度が良い)。20世紀は、「論理的世界観」が衰退して、「統計学的世界観」が隆盛となった時代だった。文系でも「論理学」より「統計学」を多く学ぶ時代になりつつある。まだ論理が優勢なのは、文学部ぐらいだけかもしれない。ウィトゲンシュタインはもう古いのだ。 標語的に言えば、
  1. 「論理的」よりも、「数量的(or 統計的)」
である。 しかし、そうだとして、「統計学」が一般の尊敬を得ることが出来るかどうかは疑問である。「力学的世界観」も「論理的世界観」も「原理(法則、公理)」からスタートして、格調の高い品があった。 しかし、統計学は美しくない。「原理(法則、公理)」が不明確で、重要な公式を暗記するというのが、統計学の普通の習得の仕方だろう。 役に立つ最強の学問であることは確かであるが、私には「必要悪のような学問」としか思えなかった。逆の言い方をすれば、
  1. ということは、統計学の本質は未発見で、凡人が挑戦しても成功するチャンスがある魅力的な分野
ということになる。


統計学は頓珍漢なことが表面化しないように矮小化(数学化)してしまった学問で( つまり、デカルト図式からの出発を放棄した学問で)、美しさを犠牲にしてしまった. 要するに、
ニュートン力学のような一元論に慣れた目から見れば、二元論は頓珍漢に見えるわけである.
哲学が二元論に拘ったのは、「我々の日常的な物の見方が二元論的」だからである.
大哲学者たちは、量子力学を知らなかっただけで、決して愚かではなかった.
というより、ニュートン力学の権威になびかずに、二元論に拘り続けた彼らの慧眼には感心する.
二元論の科学的完成が「量子言語;(言語的)コペンハーゲン解釈」なのだから、 科学においては、プラトン以来、観念論的二元論が負け続けてきた論争「一元論(アリストテレス) vs. 二元論(プラトン)」に、ここで一気に科学の二枚看板として並び立ちたい
一元論的実在論の科学化がニュートン力学だとするならば、二元論的観念論の科学化は 量子言語である.

要するに、「頓珍漢」とは、「ニュートン力学から見て、頓珍漢」ということである.

ニュートン以前の一元論的実在論(=物理学)が星占いだと思えば、量子言語以前の二元論的観念論 (デカルト、カント、ウィトゲンシュタイン)が頓珍漢なことも納得がいく.もちろん、哲学者たちを軽薄に思っているわけではなくて、その逆である.ニュートンになびかなかった彼らの強い信念には感服するしかない.「時間は無い」とか「物心二元論」とか「The limits of my language mean the limits of my world」とか頓珍漢な発言をしたとしても、結果的には、
哲学者たちの頓珍漢な発言=二元論の取説(=言語的コペンハーゲン解釈)
なのだから、辻褄は合っている.

要するに、2種類の科学があるのだ. アリストテレス流(一元論的実在論)とプラトン流(二元論的観念論)で、次のように発展してきたと考えたい.

を出発点として、次のような時系列を得る.

このように哲学にも進歩があるのだ(哲学は徐々にQLに近づいてきた).
最新の図は, ここをクリックして、ref.[43]の(ii)頁の図を見よ

昔のことは興味ないという人には、次の未来予想図(上図と同じであるが)を用意しておく。 要するに、「二つの科学がある」ということである。

写真

TOEなんかは、天才の墓場なんだから、「天才の中の天才」程度ではTOEを目指すのはやめた方がよい。


さて、深淵そうな理屈を捏ねても始まらない.重要なことは、「有名な未解決問題をどんどんと解く」ことである. 上のref. [43]で見るべきは、「まえがきのList(D1)」と「あとがきのList(D2)」である.論理, 哲学、統計学、量子力学の有名な未解決問題(一つ解けば博士号をgetぐらいの未解決問題)が50個ぐらい一挙に解けるのである.もちろん、哲学史上最難関の未解決問題「ゼノンのパラドックス」も解ける(「ゼノンのパラドックス」というとふざけているのでは?と思われるかもしれないが、本気である).代表的なのを50個ぐらい適当に選んだだけなので、すこしやる気になれば、100個や200個も簡単にできることは当然だろう. 余程の有望なテーマを持っている大学院生(実は、このような学生は滅多にいない)は別として、普通の大学院生ならばこれに飛びつかない手はない.まずは早急にref. [43]を読むことである. ===============================================================================












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    [B]: コペンハーゲン解釈; 量子哲学 (大学院講義ノート; Webバージョン 453 pp.) Koara 2018

    (by 理工;石川 史郎)
コペンハーゲン解釈; 量子哲学 (大学院講義ノート; Webバージョン 453 pp.) Koara 2018
目次
まえがき
第1講: ファインマン博士の問い掛けへの解答; p.1
1.1 量子言語(= 測定理論); p.2
1.2 量子言語の概要; p.12
1.3:例(熱い? 冷たい?) p.22
第2講: 言語ルール1 ─ 測定; p.27
2.1: 量子言語の基本構造$[{\mathcal A} \subseteq \overline{\mathcal A} \subseteq B(H)]$;$\;\;$; 一般論; p.28
2.2: 量子系の基本構造$[{\mathcal C}(H) \subseteq B(H) \subseteq B(H)]$と状態空間;p.33
2.3: 古典系の基本構造$[C_0(\Omega ) \subseteq L^\infty (\Omega, \nu ) \subseteq B(L^2( \Omega, \nu ))]\;\;$; p.42
2.4: 状態と観測量; 第一次性質と第二次性質; p.49
2.5: 観測量の例; p.60
2.6: システム量; 観測量の原型; p.65
2.7: 言語ルール1 ─測定なくして科学なし; p.69
2.8: 古典測定の簡単な例(壺問題等); p.74
2.9: 簡単な量子測定(シュテルン=ゲルラッハの実験); p.83
2.10: 簡単な量子測定(ド・ブロイのパラドックス); p.86
第3講: 言語的コペンハーゲン解釈; p.91
3.1:言語的解釈(=言語的コペンハーゲン解釈); p.91
3.2:テンソル作用素代数 p.101
3.3.1:観測量は一つだけ
3.3.2:状態は動かない
3.3.3:状態は一つだけ
第4講: 言語的コペンハーゲン解釈 (主に量子系); p.123
4.1:量子言語のコルモゴロフの拡張定理: p.123
4.2: 量子言語における大数の法則; p.127
4.3.1:ハイゼンベルグの不確定性原理は何故有名なのか? p.134
4.3.2:ハイゼンベルグの不確定性原理の数学的定式化
4.3.3:ハイゼンベルグの不確定性原理が破れる場合
4.4: EPR-パラドックスと超光速 p.146
4.5: ベルの不等式再考 p.151
第5講: フィッシャー統計学 I; p.173
5.1:壺問題 p. 174
5.2:フィッシャーの最尤法 p.179
5.3:フィッシャーの最尤法の例: p.187
5.4:モーメント法 p. 193
5.5:モンティホール問題:高校生パズル p.198
5.6:二つの封筒問題:高校生パズル p.202
第6講: 実践論理: 三段論法を信じますか?; p.209
6.1: 擬積観測量と辺観測量; p.210
6.2: 擬積観測量の制約条件; p.214
6.3: 含意─「ならば」の定義; p.218
6.4: コギト命題「我思う.故に我あり」を疑う; p.222
6.5: 結合観測量|測定は一回だけ|; p.226
6.6: 実践三段論法─ソクラテスは死ぬか?; p.229
6.7: 量子系では、三段論法は当てにならない; p.234
第7講: 混合測定理論(ベイズ統計学); p.237
7.1: 混合測定理論($\supset$ベイズ統計学); p.237
7.2:混合測定の練習・演習; p.241
7.3:サンクトペテルスブルグの二つの封筒問題; p.246
7.4:ベイズ統計とはベイズの定理を使うこと; p.249
7.5:二つ封筒問題(ベイズの方法); p.253
7.6:モンティ・ホール問題(ベイズの方法); p.257
7.7:モンティホール問題(等確率の原理) p.261
7.8:平均情報量(エントロピー ) p.264
7.9:フィッシャー統計: モンティホール問題 [三囚人の問題] p.267
7.10:ベイズ統計: モンティホール問題 [三囚人の問題] p.271
7.11:等確率の原理: モンティホール問題 [三囚人の問題] p.275
7.12:ベルトランのパラドックス( "ランダム"は見方次第) p.278
第8講: 言語ルール2 ─因果関係; p.283
8.1:因果関係とは何か?---現代科学の最重要問題 p.284
8.2:因果関係─火の無いところに,煙は立たない; p.291
8.3:言語ルール2 |マルコフ連鎖; p.300
8.4:(古典系と量子系の)運動方程式; p.303
8.5:酔歩と量子デコヒーレンス p.307
8.6:時空とは何か?---ライプニッツ=クラーク論争 p.309
第9講: 単純測定と因果関係; p.319
9.1:ハイゼンベルグ描像と「シュレーディンガー描像という計算法」;p.320
9.2:射影公準:量子言語における「波束の収縮」; p.324
9.3: ド・ブロイのパラドックス(非局所性(=超光速)); p.329
9.4:量子ゼノン効果:「見ていると餅はなかなか焼けない」わけではない;p.334
9.5:シュレーディンガーの猫、ウィグナーの友人とラプラスの魔; p.338
9.6:遅延選択実験: 「粒子か? 波か?」は愚問; p.345
9.7:量子消しゴム; p.353
第10講「測定は一回だけ」と(量子) 因果関係; p.357
10.1: 有限実現因果観測量─測定は一回だけ; p.358
10.2 二重スリット実験; p.366
10.3: ウィルソンの霧箱; p.370
10.4: 二種類のトンデモ性─観念論と二元論; p.374
11.0:フィッシャー統計 (II)
11.1: 表から見れば測定,裏から見れば推定・制御; p.381
11.2: 回帰分析=推定+実現因果観測量 p.386
第12 講「測定は一回だけ」と(古典) 因果関係; p.39
12.1: 無限実現因果観測量 p.391
12.2: ブラウン運動とは何か? p. 395
12.3: 決定的因果作用素列のシュレーディンガー描像 p.398
12.4: 運動関数という形而上学的命題 p.398
12.5 : ゼノンのパラドックス---アキレスと亀 p.406
第13講: 平衡統計力学(エルゴード仮説と等確率の原理); p. 411
13.1:平衡統計力学と言語ルール2(因果関係); p.412
13.2:平衡統計力学と言語ルール1(測定); p.419
第14講 信念" の確率解釈; p.421
14.1: 信念, 確率, オッズ p.422
14.2: 等確率の原理(II) p.429
第15講: まとめ・あとがき; p.431
15.1 思考の形式; p.431
15.2 二元論; p.431
15.3 量子言語; p.435
15.4 量子言語: 二元論の最終到達点; p.442


    [A]: 理系の西洋哲学史; 哲学は進歩したか? (大学院講義ノート; Webバージョン 203 pp.)

    (by 理工;石川 史郎)





理系の西洋哲学史: 哲学は進歩したか? (大学院講義ノート; Webバージョン 203 pp.) [リンク;理系の西洋哲学史 (Koara 2018)]
目次
まえがき [リンク;Koara]
第1講コペンハーゲン解釈(量子言語) の速習: [リンク;Koara]

1.1 量子言語(=測定理論) の概要(cf. 文献[KOARA 2018; コペン]) 2
1.2 世界記述の哲学の発展史と本書の目的; 13
1.3 実在的世界記述と言語的世界記述; 19
1.4 量子言語からの帰結; 25
1.5 進歩問題の解決とその系(心身問題と因果問題); 29
第2講 古代ギリシャ哲学(ソクラテス以前);  37
[リンク;Koara]
2.1 タレス:最初の哲学者:「万物の根源は水である; 37
2.2 ピタゴラス; 42
2.3 ヘラクレイトスとパルメニデス; 47
2.4 ゼノン(BC490 - BC430)  ; 54
第3講 ギリシャの三哲(ソクラテス、プラトン); 61
[リンク;Koara]
3.1 プロタゴラスとソクラテス(哲学が文系になった); 61
3.2 プラトン(BC.427 頃- BC.347 頃) ; 66
3.3 プラトン:空想的言語的世界記述; 70
3.4 二元論のキーワード; 74
3.5 プラトンのアカデメイア;幾何学を知らぬ者, くぐるべからず; 78
3.6 まとめ: プラトン流の哲学の語り方; 81
第4講 ギリシャの三哲(アリストテレス); 87
[リンク;Koara]
4.1 アリストテレス;万学の祖; 88
4.2 運動・変化の根源は何か? ; 92
4.3 アリストテレスの三段論法; 96
第5講 アレクサンドリア周辺; 101 [リンク;Koara]
5.1 アレクサンドリア周辺; 102
5.2 ユークリッド (幾何学に王道なし)  ; 103
5.3 アリスタルコス; 古代の地動説; 113
5.4 アルキメデス;(エウレーカ(発見した)); 115
5.5 エラトステネス; 古代最大の測定者; 122
5.6 クラウディオス・プトレマイオス;天動説; 124
第6講 中世- 暗黒時代- 127 [リンク;Koara]
6.1 アウグスティヌス(AD. 354 年- 430 年); 128
6.2 スコラ哲学; プラトン派からアリストテレス派へ; 138
6.3 ゼロの発見; 141
6.4 神の存在証明 ; 144
6.5 普遍論争; 147
6.6 オッカムの剃刀; 154
第7講 近世; 天動説から地動説へ; 157 [リンク;Koara]
7.1 パラダイム・シフト; 158
7.2 経験論の祖ベーコン(1561 年- 1626 年): 帰納主義;イドラ; 161
7.3 天動説から地動説へ; 164
7.4 『新科学対話(ガリレオ)』で、いまだに不思議なこと; 170
7.5 ニュートン登場『プリンキピア』; 172
7.6 再考 [座標とは何か?]; ニュートンはなぜ微分方程式を使わないでプリンキピアを著したのか? ; 177
第8講 近代哲学の父;デカルト 183 [リンク;Koara]
8.1 コギト命題と自己言及的命題; 184
8.2 「我思う, ゆえに我あり」と我思う(デカルト『方法序説』; 189
8.3 デカルトの戦略; 193
8.4 デカルト哲学と量子言語のキーワード対応; 197
第9講 近代哲学(ジョン・ロック、ライプニッツ, バークリー) 203 [リンク;Koara]
9.1 イギリス経験論の祖ジョン・ロック(1632 - 1704); 204
9.2 第一次性質と第二次性質; 208
9.3 「イギリス経験論vs. 大陸合理主義」という演出; 212
9.4 ライプニッツ=クラークの往復書簡; 214
9.5 唯心論:バークリー「存在するとは知覚されること」; 218
9.6 測定しなかった懐疑主義者:ヒューム『人間本性論』; 227
第10講 カント;純粋理性批判; 観念論の発見235 [リンク;Koara]
10.1 ご冗談でしょう. カントさん: 二律背反(アンチノミー) ; 236
10.2 カントの認識論; コペルニクス的転回 243
10.3 まとめ;デカルト=カント哲学; 248
10.4 未解決問題;因果関係とは何か? ; 258
10.5 「フッサールから脳科学へ」は本流か?; 252
第11講 言語哲学; 267 [リンク;Koara]
11.1 言語論的転回『論理哲学論考』; 268
11.2 哲学者の資質は, 言葉の力; 272
11.3 言語論的転回で蘇る純粋理性批判; 276
11.4 「哲学は進歩する」の系; 283
第12講 あとがき; 287 [リンク;Koara]
12.1 当然のことであるが, 文学部哲学科の哲学は文芸的; 287
12.2 量子言語は二元論的観念論の唯一の科学的成功例; 288
12.3 最後のまとめ; 296
12.4 最後に; 297
参考文献; 301 [リンク;Koara]
索引; 301 [リンク;Koara]