これは1993年9・10月号の蟻塔に掲載されたものである.

ダウンタウン

ヨハネスブルグのダウンタウンは, 超近代的なビルが建ち並んでいる。 街の 中心に位置するのが50階建てのカールトンセンターで, ショッピングモール, ホテル, オフィスビルを兼ね備えている。 オフィスビルを覗くと, 入口には 遊園地によくあるバーを押して入る人数を数える機械が備え付けられている。 ステンレス製のバーがピカピカに輝いている。 ガードマンの目がいたる所 で光っている, 一見してセキュリティはかなり厳しいことがわかる。 ホテル の一角には, アメリカンエクスプレスのオフィスがあり, その隣には, 南ア フリカ航空(SAA)のオフィスが並んでいる。 日本でヨハネスブルグからダー バン, さらにケープタウンまでの予約を入れていたのだが, 航空券をまだ買っ ていない。 そこで, このオフィスで航空券を購入することにした。 職員は すべて英国航空と同じ形式のコスチュームである。 応対にでた女性は, マタ ニティ用のコスチュームを着ていた。 このオフィスで働いている女性は, ほ ぼすべて白人らしい。

カールトンセンターの地下には, 200 件を越すお店が営業している。 中には ハンバーガーショップもある。 人々が忙しく行き交う姿は, どこの大都会で も同じ様相を示している。 お店をぐるーと覗いてウィンドウショッピングを 楽しんだ後, ショッピングモールの出口をぬけ, Von Wiellgh 通りを北に向う 。 小さなお店が道の両側に並んでいる。 観光客相手のお店だろうか。 交 差点に差しかかると薄汚れたマイクロバスの小刻みな警笛がいたるところで鳴 り響いている。 最初はなんで警笛をこんなに鳴らすのかよく理解出来ず, 「 うるさい通りだなあ。 横断舗道の付近では, こんな風に警笛を鳴らすのが習 慣なのかな」くらいに思っていた。 しかし, それにしてもマイクロバスの数 があまりにも多く目につくし, すべてのマイクロバスが減速してのろのろ走っ ているのはなぜだろうか。 さらに, 注意深く見てみると, 運転手がすべてア フリカンであることに気がついた。 後でわかったことだが, このマイクロバ スはアフリカン専用のタクシーだった。 どうもこのタクシーは, 市内を走る 英国風のダブルデッカーのバスよりも料金が安いらしい。 小刻みに警笛を鳴 らしながら, 行き先別にお客を探しているのである。 3 ブロック北に歩くと , ヨハネスブルグで最大の客室数を誇るSUN Hotelの前に出る。 ヨハネスブ ルグではCarlton Hotel と並んで一流のホテルだ。 カールトンセンターから このあたりまでは, 東京で言えば銀座街と言えるのではないだろうか。

南アフリカ美術館に行こうとSUN Hotelの前の道を右に折れて, 歩いて行く。 舗道には物売りの姿を多く見受けるようになった。 何となく怪しい気配が この付近に漂っている。アフリカンの姿があまりにも多い。 ビルの窓には 到るところ鉄格子が填められている。「やばいな」と思った瞬間, 俊敏に走 り寄ってきた2 人組の男に取り囲まれた。目の前にナイフが鈍い光りを放つ 。最初は何が起こったのかわからなかったが, 次の瞬間「やられた」と心の 中で叫んでいた。突然, 頭の中は真っ白。一人の男は, 刃渡り15cm程度の 登山ナイフをかざし, もう一人の男はしきりに小生のディパックをはずそうと している。しかし, ディパックはなかなかはずれない。ナイフをかざす手 が振るえている。身体は無意識にビルの外壁によりそって崩れるように後ろ に屈みこむ。ますます, ディパックのベルトが締まり, 外れにくくなってゆ く。時間がどんどん経過する。彼らにあせりが感じられる。足を小刻み に動かし, なにかしきりに言葉を吐き捨てる。ウルドー語か, ズールー語だ ろうか, 何語か全然わからない。しかし, テンポのある短い言葉だ。たぶ ん, その息づかいから「金をだせ, 早くしろ, 早く出せ」と推測できる。小 生もなにか大声で叫んでいる。 それも英語で。 たぶん, 日本語で叫んでも 状況は変わらないというのに。 時間がさらに経過し, 彼らもあわてだした。 どうしてもディパックがはずれない。 彼らの息使いがあらい。 ついに, 作戦変更にかかる。 小生の左腕の時計はジャンパーの袖が邪魔をして外そう にも外れない。 黒い手がジーンズの後ろポケットを探り始めた。 ポケット のサイフを狙っているらしい。 しかし, サイフはポケットの奥深く入ってお り, 指を入れただけではサイフにとどかない。遂に, 彼らは小生の両足首を つかみあげ, ジーンズの右側のポケットを手で破いた。 ポケットは一瞬のう ちに剥がれたのだが, 出てきたのは1 枚のハンカチだった。残念ながら, 財 布は彼れらの睨んだ右側のポケットに入っていなかった。左側だ。 時間が どんどん経過するように思われる。そうこうするうちに通行人が気づき始め たので, 彼らはハンカチを投げ捨て, いちもくさんに逃げ去った。 何と逃げ 足の速いことだ。取られたものは何もなかったが, 精神的にかなり動転して いる。 早く安全な場所に移動しなければ, また同じ目に合う可能性がある。 本能的に元の道を引き返し, ホテルに戻る。

やはり, 最悪の場合の状況がどうなるのか脳裏をかすめたのは言うまでもな
い。何も取られず, 身体にも傷つけられなかったのは不幸中の幸いとしか言い ようがない。襲われた場所は, 街の中心街で人通りのかなり多い路上であっ たのだから。まさかこんなところで襲われるとは思ってもみなかった。こ の時, 小生のディパックの中には, パスポート, 航空券, ポケットカメラ, お 金などの全財産が入っていた。 もし取られていたら大変なことになっていた だろう。 振り返って考えてみると, ぞっとする出来事であった。 最悪の場 合には, 今年(1993年)の一月, トランスカイのSUN Hotelで起こった日本人 の女性教師と同じ状況になったかもしれないのだから。 しかし, このような 危険をもう一度, 次の日に経験したのであるから, たいへんだ。 気分は最悪 , 精神的なダメージも大きいとしか言いようがない。

政治的, 社会的な状況判断の甘い, 注意力散漫な行動をとった自分が情けない 。 浮わついた気持ちで行動し, 日本以外の国では自分で自分を守るという基 本的なセオリーを忘れていたのだから。

ホテルのフロントで襲われたことを話すと, 「私も襲われたことがある。 暴 漢はヨハネスブルグだけでなく, 南アフリカ全都市に出没する。 こんな出来 事は日常茶飯事ですよ。 私たちはこんな行為が身近で起こる隣合わせの世界 に住んでいるのですよ」とフロントの女性は言っていた。 特に, 外国の旅行 者は肌の色が違うので狙われやすいことも話してくれた。 また, 小生が襲わ れた場所は, 市内でもっとも危険な場所であること。 外出に安全な時間帯は , 朝の出勤時間(8時から10時まで)と, 夕方の帰宅時間(4時から6 時まで)で あることも教えてくれた。 それ以外の時間に外出するときは, タクシーを使 って目的地まで行くのがよいし, 時計やカメラなどの貴重品は持ち歩かないほ うがよい。 なお, 土曜日から日曜日にかけて, 近郊のスラムから若者が街に やって来てめぼしい旅行者を物色することなどを教えてくれた。 彼らは, ホ テルの近所で見張りをし, 旅行客のの物色をし狙いを定めるらしい。 さらに , 鉄道(特に, 普通列車)を使って旅行することは非常に危険であることも。 多分, 鉄道の車両は死角が多いので, 狙われやすいのではないか。 そうい えば, ダウンタウンの鉄道の駅舎やバスターミナルには, 必ず迷彩服の軍人が 見張りをしていることに気づいてはいたのだが。

これらのことを最初から知っていれば, 精神的なダメージを受けなくてもよか ったものを。 しかし後の祭りであることはいうまでもない。 心に受けた痛 手は大きいが, 自分の生命に危険はなく, 五体満足であったことを喜ぶべきか もしれない。 残された道は, 早く精神的なダメージを克服し, これからの旅 をいかにエンジョイして続けて行くかにかかっている。 罪を憎んで人を憎ま ず。 まだ, 南アフリカに遣ってきて一日目で, 小生の本来の仕事を終えてい ないのであるから。

このホテルのフロント係は英国から遣ってきた女性である。 なかなか親身に なって相談にのってくれ, 精神的な面の立て直しにひと役かって出てくれたの も事実である。

南アフリカの諸悪の根源のひとつは, なんと言っても豊富な鉱産資源にあるよ うだ。 大国は鉱産資源獲得のためあらゆる手段を使って自国のものにした。 特に, 資源の開発を進展させるため, 農村部から労働力が都市へ集中し, 早 くから都市スラムが形成されたことにあるのかもしれない。 都市スラムの出 現は大国の欲にくらんだお金儲けの副産物の一つであることは言うまでもない 。 ヨハネスブルグには, 百万人のアフリカンが生活するソウェト(Soweto)地 区がある。 アパルトヘイトを全廃しても, 今までの社会政策がおよばした経 済環境がそんなに早く変わるとは思えないし, その社会で生活する人々の意識 も急速には変化しないだろうから。 アパルトヘイト全廃が, 別のアパルトヘ イトを生み出してはいないのか。 近年では, アフリカンどうしの内部抗争が 激化しているようにも見える。 社会の最下層で生活する人々にとって, 自分 の欲望を満足させる手っとり早い方法のひとつに「略奪」があり, この文字を 消すことはどうしてもでいきない。 以前, 日本のTVのコマーシャルに「人類 皆兄弟」をスローガンにしたものがあったが, ほんとうはどうなのだろうか。 人類皆平等と言われるような世界が果して実現できるのだろうか。 混迷し た世界状勢を見てみると, 考えさせられる問題である。


ダーバン

今回南アフリカに遣って来た本来の目的は, ナタール(Natal)州のダーバン (Durban)で開かれるシンポジュウムに出席し, 講演をすることである。 ヨハ ネスブルグからダーバンまでは, SA航空の飛行機でほぼ1 時間で到着する。 再び, ジャン・スマッツ空港へ。 ただし, 国内線乗場へ行く。

ジャン・スマッツ空港の国内線乗場で, まずびっくりしたことは, 荷物を計測 する秤りの大きなことだ。 直径80cm程度はあろうかという丸い形の表示版が 付いた秤で, いうなれば, 身体検査のときに使う体重形の大きなものを想像す ればよい。 荷物を載せると針がゆっくりと揺れる。 チェックインカウンタ ーのあるロビーは雑踏であふれ, あらゆるものが霞みがかかっているように見 える。

ダーバンへの飛行機は, ほぼ1時間に1本の割りで運航している。 国内線の 中ではケープタウンへの便と共に, ドル箱路線であるようだ。 エアバス A-3 00にのり, 一路ダーバンへ。 乗客は95\%{}以上が白人のように思われる。

           
           ダーバンのシーフロント

ダーバンは, インド洋に面した南アフリカ最大の海浜リゾートであると同時に , ヨハネスブルグ, ケープタウンに次ぐ第3 の都会である。 別名『ホリディ シティー』と呼ぶ人たちもいる。 人口の半分がインド人であるので, 街には インド人の経営するレストランやホテルが多い。 中国人の数も以外と多いの にはびっくりした。 近年, 日本人の観光客もこの都市を多く訪れるようにな った。

後で親しくなったナタール大学の学生に教えてもらったことだが, 鉄道の中央 駅近くに, オリエンタル・マーケットがある。マーケットの中には, 台湾や 日本からの輸入品だけでなく, 香辛料などの食品, 革製品を売るお店が並んで いる。日本のゲーム機が並んだゲームセンターもこのマーケットの中にあり , 子供達の溜場となっている。

ダーバン, ルイス・ボタ(Louis Botha)空港から, シンポジュウムの会場であ る``Tropicana Hotel'' まではリムジンで30分程度の道のりである。運転 手に10ランドの運賃を払う。海岸線には, 驚くほど立派な高層建築のホテル が建ち並んでいる。Holiday Inn やHilton Hotelなど欧米の系列のものも目 につく。``Tropicana Hotel''はHoliday Inn のすぐ隣に立つ15階建ての ホテルである。フロントでチェックインをすると受付のクラークが, まだ部 屋の準備ができていないので, ロビーで待ってくれるように言う。その折, 「カギはシークレットキーが使える部屋がよいですか, それとも普通の鍵の部 屋ですか」と尋ねられ
た。シークレットキーがどんなものかよくわからなか ったが, その鍵が使える部屋を希望することにした。 後でわかったことだが, シークレットキーとは, 部屋番号がわからないようになっている鍵のことで ある。多分, 鍵を落としたり, 盗まれたりしても, どこの部屋の鍵なのか分 からないようになっているのだ。 いうなれば, リゾートホテルの泥棒よけな のである。 なお, 各部屋の電話番号も部屋番号とはまったく独立につけられ ており, たとえ部屋がとなり合っていても, 電話番号は連続していない。

ロビーで部屋の準備ができるのを待っていると, 隣にどこかで見かけた人が座 っているのに気がついた。 よく見ると, それはアメリカのパデュー(Purdue) 大学G. Gautschi教授であった。 10 年前にスタンフォード大学のSIAMミー ティングでお会いして, ディナーを共にした思い出がある。 偶然の再会を喜 びあい, 話に花が咲いた。 しかし, 小生に関して言えば, この人に合うとど うも縁起が悪い。 スタンフォード大学でお会いした時にも, 小生はパロアル ト(Palo Alto) のホテルで財布を落とし, クレジットカードを紛失したことが ある。 あの時も散々な目にあった。 しかし, 今回の事件とあの事実は単な る偶然の一致でしかないことにかわりはない。 Gautschi 教授はなかなかの紳 士で, ユーモアのセンスにもたけた人なのだから。

午後に彼と海岸を一緒に散策する約束をしているとボーイが部屋の準備が整っ たことを知らせにやってきた。 エレベータは二機あるが, 一機は修理中で使 えない。 部屋まで案内してくれると, インド人系のボーイがダラーダラーと 叫んでいる。 最初はダラーがなまって聞えたので「このボーイ, 何を要求し ているのかな」と思ったが, 「ああ, チップにドルが欲しいのか」というのを すぐに悟った。 しかし, ドルの持ち合わせのないことを彼に告げ, 小額のラ ンド硬貨をチップとして差し出した。 彼は多少ガッカリした様子で部屋を出 て入った。 後でわかったことだが, このボーイ「さよなら」という日本語を 上手に話していた。 日本からの旅行者に教えてもらったのだろう。

       
         ホテルがらビーチを眺める

ホテルの前は, ビーチになっている。これはまるでフロリダに来たようだ。 冬だというのに気候は驚くほど温暖で, 浜辺ではサーフィン大会が開かれて い
る。沖には貨物船が「ボーッ。ボーッ」と汽笛を鳴らしながら航行して 行く。 波は意外と荒いようだ。 ヨットやウインドサーフィンを楽しむ人々 が目に着く。ここはマリンスポーツのメッカらしい。おまけに浜辺には, 滑べり台のある海浜プール, ``Sea World''や有名なスネークセンターなど もあるのだから。 浜辺の舗道は, マーケットになっており, 朝早く(午前7 時ごろ)から夜遅く(午後9 時ごろ)までアフリカの民芸品(革製のベルド, 木の彫物, お面, 盾, 焼物の壷, ビーズなど)やレース編みのテーブルクロス などを売る露天が軒を連ねている。

海岸道路をダーバン名物の人力車が走っている。 車夫は頭上に原色に塗られ た水牛の角のような飾りをつけている。 この町は, 西洋, 東洋, 古代アフリ カの文化が入り交じっているように見える。

シンポジュウムは1992年7月13日から15日までの3日間にわたりホテルのコン ファレンスルームで開催された。この会議は今回で18回目を迎え, アフリカ で開かれる計算数学のシンポジュウムとしては最大のものだ。参加者もアフ リカの隣国だけでなく, ヨーロッパ, アメリカ, ロシアなど幅は広い。南ア フリカ国内の参加者で注目すべきは, 大学の研究者だけでなく, 企業からの参 加者も多いことだ。ただし, アフリカンの参加者と比較して白人の数がめっ ぽう多いのは言うまでもない。

Exxson Corporate Research の B. Fornberg の講演は, 今回だけでなく, 以 前にも何度か聞いたことがある。内容はともかく, 彼はなかなか説得力のあ る話をす
る。ハスキーボイスの持主で, 話し声は少し聞き取りにくいのが難 点だが。小生の講演の後に, 南アフリカ大学の N .T. Bishop が講演を行 なった。後でわかったことだが, 昨年, 彼は日本で開かれた流体関連の国際 会議に出席したらし
い。彼の人柄は典型的な英国の紳士と言う感じで, 話し 方や声の質だけでなく顔の骨格なども英国AFIMAのI. Duffに似ている。 彼と同じテーブルで昼食を二度共にしたのであるが, 意外にも京都に精通して いるのには驚いた。

ダーバンには, ナタール大学がある。当然, このシンポシュームの開催を支 援する大学の一つだ。現在ではアフリカンの学生の数も増えているらしい。 ナタール大学の案内書の最初のページに, Peter Booysen 教授が次のように 述べているのが印象的だ。``The University of Natal does not and cannot exit in isolation. It is an integral part of the community. We are partners in progress.''と。 人間には建前と本音がある。 建前と本 音が一致してこそ真にアパルトヘイト全廃ということになろう。 この会議で もナタール大学在学中の女学生(アフリカン)が, 論文発表を行なった。

会議の期間中に一度, となりのHoliday Innで夕食を食べたのであるが, この レストランのウエイターやウエイトレスはすべて白人であった。 とりあえず , 小生の目で見える範囲には, アフリカンの使用人はいなかった。 それに反 して, 小生が泊まっているTropicana Hotelのレストランのウエイターやウエ イトレスはすべてアフリカンである。 このホテルの労使関係に問題かあるの かどうかしらないが, ホテルの前には朝から不当解雇を訴えるプラカードを持 った男女十数人のアフリカンがデモをしている。 人種間の職業の差別をなく することは, 一丁一端には解決しないだろう。 たとえ, アパルトヘイトが全 廃したといっても, いままでの慣習から抜け出るには, 多くの時間と双方の歩 み寄りの努力が必要だろ。 事実, アパルトヘイトは, 形を変えて行なわれて いるのだから。

世界的に有名な男性コーラスグループが, このダーバンで活動しているのを御 存知であろうか。 最近, ネスカフェの宣伝のひとつで, アフリカ・キリマン ジャロの草原をテーマにしたものがある。 そのバックミュージックに使われ ているのが彼らのコーラスである。 もうひとつ, TVドラマ「若き日のインデ ィージョーンズ」の初回に放送された『10歳のインディーに迫る危機』の中で も彼らのコーラスが使われていたようだ。 だぶんグループの名前は御存じな いかもしれないが, 音楽を聞けば「ああ, あれか」と思い当ることだろう。 その名をレディースミス・ブラック・マンバーソ (Ladysmith Black Manbazo ) 。 ダーバンでは毎週日曜日の午後6 時から彼れらのアカペラ・コーラスを TVで放送している。 アカペラとは, 楽器をなにも使わず, リズム音までもク リック音を加えた声だけを使って歌いあげる合唱音楽の極致であると言う人も いる。 アメリカでは19世紀半ばに登場したバーバーショップスタイルのコー ラスであり, 当時アフリカン青年たちの社交場となっていた床屋で男性カルテ ットを組み歌い始められたものである。

レディースミス・ブラック・マンバーゾは, 1969年にリーダ兼作曲家のジョセ フ・シャバララとマジブコスの2 家族9人で構成されたコーラス・グループで ある。 彼らは何よりも民俗の文化そのものを歌いあげる。 ステップを踏ん だり, 足をあげる踊りの動作をしながら歌いあげる伝統的な音楽劇は感動的だ 。 現在では, 教会の合唱隊としても活躍している。

音楽は風土とか文化にもとづくものが多い。 ロックが都会の若者の心をつか み人気があるように, 彼らの音楽はこの南アフリカの風土にマッチしたもので ある。 ぜひ, 彼らの歌を南アフリカで聞いて欲しい。 彼らの歌に込められ た民俗の叫びのすばらしさを感じとれるだろうから。

彼らを世界的に有名にしたのは, ポールサイモンのグラミー賞受賞作のアルバ ム『グレイスランド』で共演してからのことである。 彼らは歌う「偉業を讃 える歌を」。 民俗の喜びにあふれ歌う, ANCのネルソン・マンデラに対して。

(南アフリカの風(3)に続く)


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