これは, 1993年7・8月号の「蟻塔」に掲載されたものである.

旅立ち

昨年の1 月だと思うが, 思いがけなく, 南アフリカからの一通の手紙がやって きた。 内容は取り立てて言うほどのものでないのだが, シンポジュームへの 招待の手紙であった。 今からちょうど10年前にも, 同様な手紙が小生の手元 に舞い込んだ。 どこで調べたのか, 聞いたのかしらないが突然こんな手紙が やってくる。

              
               ケープポイントより喜望峰を望む

10年前には, ほぼ行く約束をしていて, アパルトヘイト(人種隔離政策) の影 響で直前に行けなくなり, 約束を果たせなかった。

今回は, 1989年に誕生した南アフリカ国民党のデクラーク大統領の政革のおか げで, 南アフリカ政府も2 年前にアパルトヘイトの事実上全廃宣言を出してい る。 また, 学生時代に地理の時間で習った喜望峰 (Cape of good hope)を一 度訪れたいとの夢を抱きつつ, アフリカ大陸最南端の国, あこがれの南アフリ カへ旅立つことに決意した。

とは言うものの, 日本から南アフリカへの航空機の直行便はない。 ベストは, 南アフリカ航空(SAA)の路線が日本まで伸びていればよいのだが, 香港や台湾までしか飛んで来ていない。 最悪の場合は, 英国航空を利用してロンドン 経由で行こうかとも考えた。 しかし, いろい調べてみると, 好都合なことに 日本に乗り入れているいくつかのアジア系の航空会社が, 南アフリカのヨハネ スブルグに飛んでいることがわかった。 その一つで行くのがよいのではない かと思い, 知合いの旅行会社にコンタクトをとる。 旅行会社の返事によると, 中華航空 (China Airline)が最も乗り換えの接続がよく, 日本を夕方出発す れば, 翌日の朝に南アフリカのヨハネスブルグのヤン・スマッツ(Jan Smuts) 国際空港に到着することを教えてくれた。 いろいろ別なルートを考えること もなかなか面白いのであるが, 羽田から出国できることは小生にとって非常に 都合がよい。 今回は久々の中華航空に乗ることにした。 中華航空の飛行機 に乗るのも10年ぶりだ。

飛行機の予約も順調にとれ, 旅行の準備にとりかかったのだが, まず, 南アフ リカに行く前にいつくかの情報を入手しておく必要がある。 旅行ガイドブッ クなどをいろいろ調べてみたのだが, 本屋さんで入手できるものにはあまりめ ぼしいものはなかった。 そこで, 南赤坂の南アフリカ観光局を訪れ, 一連の 観光パンフレットや地図など受付のお嬢さんに頼んで一袋もらい受けてきた。 観光局のお嬢さんは, 南アフリカに関するありとあらゆるパンフレットを ``South Africa, a world in one country''と表に書かれたビニール袋に快 く入れて手渡してくれた。 たぶん, 「どんなパンフレットが必要ですか」と 尋ねるのが面倒だったのだろう。 ただひとつだけ, 彼女にビザが必要かどう か質問してみた。 それによると, 現在では15日以内の滞在であればビザの取 得は必要ないことが判明した。 これで面倒くさい書類の提出を一つパスでき たことに安堵したのである。

観光局でもらったパンフレットは何種類かの冊子にわかれており, 南アフリカ の歴史や名所旧跡などの情報が盛りだくさん含まれていた。特に, サファリ には多くの紙面がさかれている。また, 世界中で一番豪華だと定評のあるケ ープタウンから出発し, ヨハネスブルグを経由して首都プレトリアを結ぶブル ートレインの客室配置図, 値段表と出発日を書いたものも含まれていた。し かし, 小生のような貧乏旅行者にとってそんな贅沢をすることは許されるはず もない。今はもうプロレタリアートという言葉が陳腐化している時代ではあ るが, 小生にとって, 豪華な海外旅行よりも, 慣れ親しんだ貧乏旅行で 「何で も見てやろう」 というのがおもしろい。一応すべてのパンフレットに目を通 す。 これはどこの国のパンフレットにも共通することと思うのだが, いいこ とずくめのことが一杯書かれている。もらったパンフレットを読み進むに従 って「早く南アフリカを訪れたい」という気持ちが高まる毎日であった。 反 面, 今だかつて足を踏み入れたことのないアフリカなので, 確かに多少の不安 が脳裏をよぎったのも事実である。これらのパンフレットからは, 一番知り たい現在の南アフリカの治安に関する情報はひとつも入手できなかった。こ の情報不足のおかげで, 後である事件に遭遇することになる。


羽 田 空 港

現在, 羽田空港の国際線は御存知のとうり中華航空のみの発着となる。 ただ し, 当然なことながら世界的な要人の乗った飛行機は, ここを利用することは 言うまでもない。 しかし, 一般人が国際便を利用できるのは中華航空の便に 乗る乗客だけである。 乗客の多くの行き先は, 台湾, ハワイだと思う。 旅 行会社の案内には, 出発の2 時間前にチェックインをするように記述してあっ たので, それよりも30分程度前に到着するよう我が家を出ることにした。

羽田空港の国際線ターミナルは, 国内線のターミナルと比較して多少不便な所 にある。 モノレールの空港駅からも, バスの降車場からもだいぶ離れている。 国内線の便利なターミナルと比較すれば, 一日4 便程度の国際線などあま り問題にならないのかもしれない。 文句のある人は「タクシーでどうぞ」と 言うことらしい。 さらに, 事実上国交がないことになっている国の航空機が やってくる空港なのだから, めだたない場所にあるのかもしれない。

ターミナルに入ると, 小生の記憶違いでなければ, チェックインカウンタの位 置が, 10年前とは違う場所に移動しているのではなかろうか。まだ, 国際線 の空港ロビーには, 人はまばらだ。すこし定刻より早く来すぎたらしいのだ が, チェックインカウンタはすでに開いており, 数人の男女がチェックインの ための列を作っている。早々にカウンタで, 航空券を台北までの搭乗券と引 き替える。 台北から先の搭乗券のことについてたずねると, カウンタの女性 曰く, 「後の搭乗券は台北で交換してください。台北のトランジットルーム の中華航空のカウンタで準備しておきますから」と。「長時間の飛行になり ますので, お気をつけて」の一言がうれしい。飛行機の搭乗時間まで, まだ 少し時間があるのでターミナルの2階のレストランで軽食をとることにする。


待 合 室

出発時間の1 時間前, なにわともあれ, カスタムを通りぬけ待合室で搭乗する 飛行機が到着するのを待つことにする。待合室に入って先ずびっくりしたの は, 成田空港とは雰囲気がまるで違うことである。だだっ広い長方形の待合 室には長椅子が雑然と並べられ, 壁には日本語で書かれた注意書きが貼られて いる。しかし, むしろ中国語で書かれた注意書きがあちこちに貼られている のがやたら目に飛び込んでくる。 トイレの中まで中国語の注意書きがあるの には驚いた。 これはまるで日本というより, すでに台湾の空港の待合室にい る気分だ。台湾からの旅行客が非常に多いということであろう。待合室の 隅に, エイズに関するパンフレットが置いてある。だれも目を向けないし, 手に取っている人もいない。日本の空港に置いてあるエイズ・パンフレット は, 外国のものと比較して内容がややソフトタッチに記述してある。

待合室の中には, 東京ディズニーランドの大きなビニール袋をさげた子供達が 駆けずり回っている。顔を見ただけでは, 日本人かどうか判断できないが, 台湾からやってきた家族旅行のツアー客の子供たちらしい。ツアー客の多く が桃の詰合せを示すラベルのはった箱を抱えている。 日本のおみやげなのだ ろう。話声から想像すると, この果物のおみやげの値段はそうとうに高いら しい。 おみやげ屋はどこの国でも暴利をむさぼっている。 エアポート・プ ライスと呼ばれる由縁がここにあるのかもしれない。

日本人の数人の男性たちが, 小生の横を通り過ぎて行く。台湾に3 泊4 日の 観光旅行に行くらしい。ついでに自由恋愛もする予定のようだ。しかし, やはりエイズがこわいらしく, コンドームの話に花が咲いている。団体旅行 となると恥も外聞もかなぐり捨てて行動する癖のあるどこかの国民の一面を見 たようだ。 はたして, 彼らは待合室のすみに置かれた, あのエイズのパンフ レットを手に取って読んだのだろうか。

そうこうしている内に, 場内アナウンスがあり飛行機に乗り込む。 乗り込ん でしまえば, 3 時間で台北の中正空港に到着する。 しかし, 飛行機の中は身 動きが出来ないほど満席の状態である。


トランジット

中正空港での1 時間のトランジットの後, 午後9 時発 CI-091 便に乗り込むこ とになる。 トランジットルームには, 日本の羽田空港の待合室と同様に, エ イズのパンフレットが置かれている。 羽田空港に置いてあるものと比較する と, あまりにも現実を直視する写実的なものである。 一見して, 「こわいな ぁ」と感じさせられるものだ。 日本のエイズパンフレットが子供だましのよ うに見えてくる。

トランジットルームで搭乗時間まで待つ間に, 一人の初老の日本人女性が話し かけてきた。 この便を使ってヨハネスブルグまで行く乗客であるらしい。 日本人の乗客は, 小生とこの女性の2人だけらしい。 このおばさんは, ヨハ ネスブルグで働く商社マンの息子の所に1 ヶ月間の休暇を過ごしに行くのだそ うだ。 おみやげに鯵の干物を持っていると言っていた。 また, トランジッ トルームを見回した段階で, この便に乗る乗客の数はどのように数えても50人 を越えるとは思えない。

CI-091便は給油のためにシンガポールにたちより, 後はインド洋上をひとっ飛 びして南アフリカのヨハネスブルグに向ったのである。


ヨハネスブルグ

ヨハネスブルグのヤン・スマッツ国際空港への到着は, 翌朝の午前7 時。 飛 行機の窓から見た南アフリカの大地は, 赤茶けた様相を示していた。 前述の 日本人のおばさんは, 初めて見たアフリカの大地に喚起の声をあげていた。 日本から通算するとほぼ20時間の飛行機の旅だ。

乗客の数が思ったほど少なかったのが幸いしてか, カスタムも簡単にクリアし て, さあ, 行動開始だ。 欧米の空港と比較すると, この空港のロビーは多少 暗い感じがする。 待合室の大きさなど, ほぼ羽田空港の国際線のものと同程 度の大きさだ。 飛行機の中では, ずっと眠っていたように思えるのだが, 深 い眠りを得られなかったらしく, すこし頭が重い。 とりあえず, 税関を通り 抜けた出口右側にある空港内の銀行で, いくらかのお金を南アフリカの通貨ラ ンドに取り替えた。 十年前には, 1ドル$=$1ランドの換算であったらしいが, 現在ではほぼ1ドル$=$2。3 ランドの換算である。 日本円では, 1 ランド =45 円と言うところではないか。

まず, 今日泊まるホテルを探さねばならない。銀行の右側に空港のインフォ メーションがある。 案内嬢にホテルを斡旋してくれる場所を尋ねる。彼女 は, 何となくかたい感じの英語で, 国内線のバゲージ・クレイムに市内のホテ ルの位置を示した掲示盤とホテルに通じる無料の電話があることを教えてくれ た。欧米の空港によくある``Do it yourself''式のホテル・インホメーショ ンである。値段や市内の場所などを考慮した結果, ``Braamfontein Proti a Hotel''に決め, 掲示盤に書かれているインストラクションに従って無料の 電話をかけてみた。しかし, 聞こえてくるのは, 擦り切れたテープの声のみ。 何回も同じ箇所を再生しているテープらしいので, 音声はボヤケきってい た。最初はなにを言っているのかよく聞き取れなかったが, どうも公衆電話 を使ってある番号に電話し, 予約しろと言っているらしい。 そこで, この電 話の声を近所を通りかかった空港職員(アフリカン)に聞いてもらって内容を もう一度確かめてみた。事実, 職員も首を傾げるほどテープの音声は聞き取 りにくいらしい。 さすがネイテブの強みで, 「そのとうりである」と言って くれた。 しかし, 彼も本当に聞き取れたのかどうかは定かではない, 信じる だけだ。 小銭がなかったので, この空港職員に再度お願いして両替してもら い, 公衆電話に向う。

テープの音声が言っていた電話番号に電話すると, なんとそれは空港内の電話 局のオペレータに繋がったのである。 このオペレータにたのんでホテルに電 話を繋いでもらえということらしい。 そうこうするうちに, ホテルに回線が 繋がり予約を入れたのである。 ホテルのフロントは, 「なにわともあれ, 早 くおいで下さい。 部屋を確保しておきますから」と言ったのだ。

電話の後で気がついたのであるが, 空港の電話局のオペレータは通路を挟んで 斜め前のボックスに横を向いて座っていた。 こんな近い場所にいるなんて。 ちょっと驚いた。 オペレータの声は, あの体格のよい親切そうなおばさん だったのだ。

後は, ホテルに直行するだけである。 ホテル直行のリムジンバスがあればよい のだが, どうもないらしい。 先ほどの空港職員は, 「ホテルまでタクシーで 行け」と言っていた。 しかし, ここはセーブマネー。 目の前に``TRANSPOR TATION''と書かれた案内所がある。 カウンターのおじさん(アフリカン)に 尋ねると, 「出口を出で左に曲り30m 程度歩くと, ダウンタウンの長距離バス ターミナルに行くバスがある。 それに乗れ。 お望みのホテルはそこから歩 いて5 分程度だ。 円筒形の変わった建物のホテルなのですぐにわかるはずだ」 と言わた。 おじさんの指示に従って歩いてゆくと, 空港ターミナルの壁に 沿ってバスの切符売場が見える。 ダウンタウン行きのバスが発車する寸前で あった。 これを逃すと30分待つことになる。 あわててキップを買い, キッ プ売場の前に止まっている小型のバスに乗り込む。 自動ドアだと思ってバス の扉を締めないでいると, 運転手が「扉を締めてくれ」と叫んだらしい。 小 生は長時間の旅でいいかげん身体が疲れきっており, バスの扉を締めることな どまったく眼中になかったので, そのまま後部座席の方へ歩いていった。 運 転手は「しょうがない野郎だな」という顔つきで運転席を立ち, ドアを勢いよ く締めた。 自動ドアでないくらい, ちょっと注意して見ればすぐにわかるの だが, 疲れているときは注意力散漫になる。

空港からヨハネスブルグのダウンタウンまでは, ほぼ24km離れており, バスで 30分程度の道のりである。 ほんの短い時間ではあるが, 快適な片側3車線の 高速道路の旅である。 バスの車窓からは, 土のボタ山がいくつか目に入る。 金の採掘の副産物であるはいうまでもない。 後でわかったことだが, 現在 ではこのボタ山の土をリサイクルしてもう一度金を採取しているらしい。 近 年, 金の相場が下落しているので, 南アフリカの資産も相当な打撃を受けて目 減りしているのではなかろうか。

まず, 最初に目に飛び込んできたのは, 林立する高層ビルの中に269 メートル の「ポストオフィス・タワー」である。以前なにかの写真で見たときのよう にピカピカではないが, 朝日に薄赤く照らされた様子は人間が製作した人口的 な美しさに磨きをかけているように見える。しかし, 近代的な町並みが続い ているにもかかわらず, いくつかの建物を除いてあらゆる建物が霞がかかった ようにくすんで見えるのは何故か。小生の目に, ``Braamfontein Protia Hotel''と書かれた大きな看板とホテルへの道順を示した矢印($=>$)が飛び込ん できた。「あれが今日泊まるホテルだな」と思っているうちに, ヨハネスブ ルグ中央駅の隣の長距離バスターミナルに到着した。 このバスターミナルか ら南アフリカの各都市を結ぶグレイハウンドなどの (予約制の)バスが出発す るらしい。 時刻は午前8 時40分。 ターミナルの中に入ってみると, ずらっ と並んだバスのチェックインカウンタの一角に, 市内観光案内のインホメーシ ョン・デスクがある。 しかし, カウンタにはまだ人の気配を感じられない。 しかたがないので, カウンタに広げられたダウンタウンの地図を見る。 ご 丁寧に地図の上には, すべてビニールのカバーがかけられている。 目指すホ テルは目と鼻の先であることを確認し, 歩くことにする。

まず, ターミナルを出てゆるい坂道を登る。 路上には数人の物売りが露店を 出している。 小生が一番目を引かれたのは使いふるした靴をもう一度磨きあ げ, 路上に黄色い布をひき, まるで縁日や夜店の露天商のように古靴を並べて 商売をしているアフリカンのおじさんの姿だった。 おじさんより「おっさん」 と呼んだ方が親近感がある。 ホテルまで歩く5 分程度の間に, 交差点の角 で3人の古靴を売るおっさんを見た。 靴は黒い靴墨でテカテカに光っていた が, 素材の皮は見るからにくたびれている。 雑然と並べられた黒い古靴と冬 物の黒いコートを着たおっさんの姿は, ちょっと寒い冬の朝日に照らされ, さ みしげであった。 この様子は, 現在でも小生の脳裏に妙に印象に残っている。

現在では``Braamfontein Protea Hotel''は超一流とは言えないが, まずま ずの(5つ星の)ホテルである。 というのは, 5 つ星のホテルの中にもランク は特上から並まであるのだから。 このホテルは円筒の形で, 308室の客室が ある。 料金は空港で予約したことにより, ノーマル料金 (275 ランド)のほ ぼ半額(145ランド) になった。 これは得をしたエアポート・プライスだ。 以前, オーストラリアのシドニーの国際空港で同様の経験をしたことがある。 チェックインを済ませると, むしょうにお腹がすいてきた。 そこで, 一階 のレストランで朝食をとる。 食事は日本でいうところのバイキング形式で, 欧風なコンチネンタル料理が並んでいる。 味はすこぶるよい。 ちょっと見 回すと, 驚いたことにウエイターやコックなどすべてアフリカンだ。 レスト ランの入口で来客の案内をするマネージャーもアフリカンの女性だった。

(南アフリカの風(2)へ続く)


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