コラム

先輩への謝辞 コラムの目次に戻る

 このコラムが最後に更新されてから1年以上が経過している. そろそろ新しい文章が必要と思われるので, 私の思い出を書き綴ろうと思う.

 私が学部4年で配属になってから8年という時間が経過している. 配属当時は博士課程の学生が1人, 修士が3人そして私を合わせた同期が4人という構成であった (あの時大先輩だと思っていた博士課程の先輩よりも今では年齢が上になってしまっている). しかしながらここ数年, メンバーの入れ替わりはあったものの, 博士課程以上のメンバーがつねに4人以上在籍する状況が続いている. その始まりは私が博士1年になった時であると思う. これからきちんとした研究成果を出していかなくてならないというプレッシャーや不安のある日々の始まりに, そこに先輩がいるという状況には随分と勇気を頂いた. 先輩と数学的な議論が出来たことはもちろん素晴らしいことであったのだが, それ以外でも色々なアドバイスを頂けたことはとてもありがたかった. 例えば, 博士1年の夏にボストン大学で開催された「Boston-Keio Summer Workshop 」での発表のため, 私は初めて海外に行くこととなった. パスポートの取得に始まりてんやわんやであったが, 海外旅行の為の準備などを色々教えて頂いた(こんなこと一々指導教員に聞くわけにもいかない). しかも現地では先輩がツアーコンダクターであった. 望みうる最良の初海外旅行であったと思う. また, 博士課程ともなると, 先輩との人間関係が深くなっていくので, よく先輩をさそって飲み会に行った. そりゃあもう何回も行った. 誘いすぎて申し訳なくなるくらい行った. そして飲んだ. しこたま飲んだ. 私は基本的にビールしか飲まないが, 高々ビールだけで粗相をしてしまうくらい飲んだ. 飲み会の席では若干気が大きくなるし「お口のチャック」がゆるくなることも有り, 意味のある話から意味のない話そして本当に意味のない話まで色々なことを話した. そしてその中で我々は間違いなく結束していった(若干古臭い結束のしかたかもしれないが). さて, そのような日々の中で, 私も1年また1年と年を重ね, 博士課程の後輩を持つようになった. 私は彼から「優秀な後輩を持つことが自らの人生にどれほどの刺激を与えてくれるのか」ということを教えてもらった. 負けてはいられないのである.

 この後, 多くの人の手を借り, なんとか学位を取得した私は, PDとしてこの栗原研にそのまま在籍することとなった. 学生時代から栗原先生には沢山のものを頂いたが, 今なおもらい続けているのだ(そろそろ大人にならなくては). 現状を言い換えるならば, 私は未だに思い出の日々の延長線上にいるということになる. あの日々は麗しいものであったが, 麗しの日々はいつまでの続かない, そして続いてはならない. そろそろ「ならず者」であることから卒業し, 新たな一歩を踏み出そう. そういえば, 私が出会った先輩たちは皆人格者であった. 後輩から私がどのように思われているかは定かではないが, 先輩を見習い, もう少し人格者のふりをすることを「新たな1歩」の手始めとしよう.

静けさが騒がしい暖冬の夜に

あるPD