この節は,次の文献からの抜粋である.

$(\sharp):$ S. Ishikawa, "Measurement theory in Philosophy of Science" $\quad$ arXiv:1209.3483 [physics.hist-ph] 2012


測定理論 (= 量子言語 ) 測定理論は「二種類のトンデモ性」を持つ. すなわち,「観念論=言語的科学観(8.1節)」と思って,
$(\sharp_2):$ $ 測定理論の「トンデモ性」 \begin{cases} 観念論 &・・・\underset{(靴に足を合わせる: 12.4.1節) \qquad }{言語的科学観} \\ \\ 二元論 &・・・\underset{(観客は舞台に上がらない: 12.4.2節)}{言語的解釈} \end{cases} $
となる. 本節では,この「トンデモ性」についての注意を述べる.

12.4.1: 言語的解釈─ 観客は舞台に上がらない

問題12.13 [観客は舞台に上がらない] 高校の数学の教科書から,日常言語で記述された次の問題を考えよう.次の手順(a) と (b)を考える:

$(a):$ 壷の中に,白球と黒球が,それぞれ$m$個と$n$個入っている. 壷の中から球を一つ取り出して, もしそれが白球ならば,手元におく. もしそれが黒球ならば,壷の中に戻す. この試行を3回行う. また, 最初に, 壷の中に,白球と黒球が,それぞれ$3$個と$2$個入っている とする.
$(b):$ (a)の試行後に,手元に白球が2つ になる確率を求めよ.



解答 ${\mathbb N}_0$ $=\{0,1,2,\ldots\}$とする. 壷の中に,白球と黒球が,それぞれ$m$個と$n$個入っている状態 を, $ (m,n) \in {\mathbb N}_0^2 $ と記す. 双対因果写像 ${\Phi^*}: {\cal M}_{+1}({\mathbb N}_0^2)$ $ \to {\cal M}_{+1}({\mathbb N}_0^2)$ を, 点測度$\delta_{(\cdot)}$を使って 表現すると,

\begin{align} {\Phi^*}(\delta_{(m,n)}) = \begin{cases} \frac{m}{m+n} \delta_{(m-1,n)}+\frac{n}{m+n} \delta_{(m,n)} & \quad (\text{} m \not= 0\; \text{のとき}) \\ \delta_{(0,n)} & \quad ( m = 0\; \text{のとき}). \end{cases} \tag{12.17} \end{align} $T=\{0,1,2,3\}$を離散時間と して, 各$t$ $\in T$に対して, $\Omega_t = {\mathbb N}_0^2$ とする. したがって,

\begin{align} & {[\Phi^*]}^3 (\delta_{(3,2)}) = {[\Phi^*]}^2 \left( \frac{3}{5}\delta_{(2,2)} + \frac{2}{5}\delta_{(3,2)} \right) \nonumber \\ = & {\Phi^*} \left( (\frac{3}{5} (\frac{2}{4} \delta_{(1,2)} +\frac{2}{4} \delta_{(2,2)} ) + \frac{2}{5}{(} \frac{3}{5} \delta_{(2,2)}+\frac{2}{5} \delta_{(3,2)} ) \right) = {\Phi^*} \left( \frac{3}{10} \delta_{(1,2)} +\frac{27}{50} \delta_{(2,2)} + \frac{4}{25} \delta_{(3,2)} \right) \nonumber \\ = & \frac{3}{10} ( \frac{1}{3} \delta_{(0,2)}+\frac{2}{3} \delta_{(1,2)} ) +\frac{27}{50} ( \frac{2}{4} \delta_{(1,2)}+\frac{2}{4} \delta_{(2,2)} ) + \frac{4}{25} ( \frac{3}{5} \delta_{(2,2)}+\frac{2}{5} \delta_{(3,2)} ) \nonumber \\ = & \frac{1}{10} \delta_{(0,2)}+\frac{47}{100} \delta_{(1,2)} +\frac{183}{500} \delta_{(2,2)} + \frac{8}{125} \delta_{(3,2)} \tag{12.18} \end{align}

$C(\Omega_3)$ 内の観測量 ${\mathsf O} =({\mathbb N}_0,2^{{\mathbb N}_0}, F^{})$ を,次のように定める: \begin{align*} [F^{}(\Xi)](m,n) = \begin{cases} 1 & \qquad (m,n ) \in \Xi \times {\mathbb N}_0 \subseteq \Omega_3 \\ 0 & \qquad (m,n ) \notin \Xi \times {\mathbb N}_0 \subseteq \Omega_3 \end{cases} \end{align*} したがって, 測定 ${\mathsf M}_{L^infty({\mathbb N}_0^2)}(\Phi^3{\mathsf O}, S_{[(3,2)]})$ により,測定値「$2$」を得る確率, すなわち, 手元に白球が$2$つ残る確率は, \begin{align} [\Phi^3 (F (\{2\}))](3,2) = \int_{\Omega_3} [F(\{2\})](\omega) ({[\Phi^*]}^3 (\delta_{(3,2)}) )(d \omega) = \frac{183}{500} \tag{12.19} \end{align} である.

$\square \quad$

上は簡単な演習問題であったが,次の(c)は注意すべきである.
$(c):$ 上の(a)の部分は因果関係で,(b)の部分が測定に関係する.
通常は,(a)の部分でも, 測定者が活躍しているように考えるかもしれないが, 測定理論では,言語的解釈(3.1節(E$_1$))では, 測定対象の中に,測定者が登場することはない. 喩えて言うならば,
  • 観客は舞台に上がらない
であり, したがって,(a)の文言の中の 「試行者」は,測定者(=我)でない. 「ロボット」と思うのがわかり易い.

$\fbox{注釈12.4}$ それでは,「注意6.25の手続き(a)内には,『確率概念』 は無いのか?」 と問うかもしれない. これは「測定(言語ルール1)の確率」とは違うので, 測定理論の原則に従うならば, 手続き(a)内には,「確率概念」 は無いと言うしかない. したがって, 「測定対象内の確率」には,別の名前, たとえば, 「マルコフ確率」 などして区別するのも一つの方法である. ただし, 本書では,「測定なくして,確率なし」 の量子力学の精神に従っているので, 「マルコフ確率」という言葉は使わない. すなわち,
$(\sharp_1):$ 量子力学で「確率」を表現するときの文言 と 同じ形の文言で表現されるものを 測定理論でも 「確率」と呼びたい, すなわち, 言語的解釈は, 量子力学 と 測定理論で 共通と思いたい
からである.


12.4.2:言語的科学観─靴に足を合わせる
日常言語は, 何でも曖昧に取り込んで渾然一体としてしまう モンスター言語である. 日常会話では, 一元論とか二元論とかが決まっているわけでなくて, 「時制」も当たり前のこととして, 臨機応変に会話する. したがって,当然であるが, 「測定」と「因果関係」 という言葉の使い方も, 測定理論と日常言語では ズレがある. と言うより, 日常言語の中では, 「測定」と「因果関係」という言葉 は気分で使われているに過ぎない. 本節では,このズレについての注意点を述べる.

注意12.14 [測定と因果関係の混同 (例 2.31からの続き)] 例2.31の [コップの水の冷・熱の測定] を思い出そう. 測定 ${\mathsf M}_{{L^\infty (\Omega) }} ( {\mathsf O}_{冷熱},$ $ S_{[\delta_\omega]} )$ で,$\omega=5℃$ の場合に,

$(a):$ 測定 ${\mathsf M}_{{L^\infty (\Omega) }} ( {\mathsf O}_{冷熱}, S_{[ \omega(=5)]} )$ により 得られる 測定値 $x(\in X =\{冷, 熱\})$ が,

集合 $ \left[\begin{array}{ccc} {} \emptyset (={\text 空集合}) \quad \\ \{ \text{冷}\} {} \\ \{ \text{熱} \} \\ \{ \text{冷} ,\text{熱}\} \end{array}\right] $ に属する 確率 は $ \left[\begin{array}{cc} {} 0 \\ {} [F(\{ 冷 \})] (5)=1 \\ {} [F(\{ 熱 \})](5) =0 \\ {} 1 \end{array}\right] $ である.
と記述した. ここで, 「5℃」が原因で, 「冷たい」が結果,とは考えない.すなわち,
$(b):$ $\qquad \qquad $ $ \underset{{(}原因{)}}{\fbox{5℃}} \longrightarrow \underset{{(}結果{)}}{\fbox{冷たい}} $
を「因果関係」と考えなかった. その理由は, もちろん, 言語ルール2が使われていないからである. 測定理論では, 因果関係は,測定対象内だけの関係で, 「測定者と測定対象にまたがる」 ことはない. 日常会話の中では, 一元論と二元論の区別なく 混用されているので 注意が必要である.
$\fbox{注釈12.5}$ もちろん, 「見方」の問題で, 上の(b)を, 「測定」と見ないで, 「現象」と見ることもできる. すなわち, 冷熱--測定器の内部回路 と思えば,「因果関係」 である. つまり, 双対因果作用素 $ {\Phi^*} : {\cal M}([0, 100]) \to {\cal M}(\{冷, 熱\})$ を \begin{align*} & [{\Phi^*} \delta_\omega ](D) = f_{ 冷 }(\omega) \cdot \delta_{冷} (D) + f_{熱 }(\omega) \cdot \delta_{熱}(D) \qquad (\forall \omega \in [0,100] \\ & \forall D \subseteq \{冷, 熱\}) \end{align*} と定めれば, 因果関係 と見ることもできる. すなわち,
$(\sharp):$ $ \text{ 同じことでも 記述の仕方により「測定」にも「因果関係」にもなる } $
のが, 言語的世界記述法である.




注意12.15 [混合測定とマルコフ因果関係の混用( (壷問題:混合測定)からの続き)] 解答9.13(壷問題:混合測定)を再考しよう. 状態空間$\Omega=\{\omega_1, \omega_2 \}$ を考えて, $C(\Omega{})$内の観測量 ${\mathsf O} = ( \{ 白, 黒 \}, 2^{\{ 白, 黒 \} } , F{})$ を (9.15)式 で定義し, 点測度$\delta_{(\cdot)}$ を用いて, 混合状態を$\nu_0 =p \delta_{\omega_1} +(1-p) \delta_{\omega_2}$ とした. このとき, 混合測定 ${\mathsf M}_{L^\infty(\Omega)}({\mathsf O}, S_{[{}\ast{}] }(\nu_0) )$ によって,測定値 $x$ $(\in \{ 白 , 黒 \}{})$ が得られる確率は \begin{align} P(\{ x \}{}) &= \int_\Omega [F(\{ x \}{})]( \omega) \nu_0(d \omega{}) = p [F(\{ x \}{})](\omega_1) + (1-p) [F(\{ x \}{})](\omega_2) \nonumber \\ &= \begin{cases} 0.8 p + 0.4 (1-p{}) \quad & (x=白{}\; \text{のとき}) \\ 0.2 p + 0.6 (1-p{})) \quad & (x=黒{}\; \text{のとき}) \end{cases} \tag{12.20} \end{align} であった. さて,ここで新たな状態空間$\Omega_0$ を1点$\omega_0$からなる集合,すなわち, $\Omega_0=\{\omega_0\}$ と定める. 双対マルコフ因果作用素 ${\Phi^*}: {\cal M}_{+1}(\Omega_0)$ $ \to {\cal M}_{+1}(\Omega)$ を, ${\Phi^*}(\delta_{\omega_0})$ $ =p \delta_{\omega_1} +(1-p) \delta_{\omega_2}$ として, マルコフ因果作用素 ${\Phi}: L^\infty(\Omega)$ $ \to L^\infty(\Omega_0)$ を定める. ここで, 純粋測定 ${\mathsf M}_{L^\infty(\Omega_0)}(\Phi{\mathsf O}, S_{[\omega_0]})$ を考えよう.この測定により, 測定値 $x$ $(\in \{ 白 , 黒 \}{})$ が得られる確率は, \begin{align*} P(\{ x \}{}) &= [\Phi (F (\{ x \}))](\omega_0) = \int_\Omega [F(\{ x \}{})]( \omega) \nu_0(d \omega{}) \\ &= \begin{cases} 0.8 p + 0.4 (1-p{}) \quad & (x=白{}\; \text{のとき}) \\ 0.2 p + 0.6 (1-p{})) \quad & (x=黒{}\; \text{のとき}) \end{cases} \end{align*} となり,上の(12.20)式と同じになる. $\qquad$ したがって, 混合測定 ${\mathsf M}_{L^\infty(\Omega)}({\mathsf O}, S_{[{}\ast{}] }(\nu_0) )$ を 純粋測定 ${\mathsf M}_{L^\infty(\Omega_0)}(\Phi{\mathsf O}, S_{[\omega_0]})$ と見なすことができたことになる.

$\fbox{注釈12.6}$
解答9.13 の「事前確率(=混合状態)」 が, 注意12.15では,「マルコフ確率」 になったことに注意すべきである. すなわち,
$(\sharp):$ $ \qquad$ 概念は,記述の仕方に依存する
のが, 言語的世界記述法である. これを「トンデモ」と 思うとしたら, 実在的科学観の刷り込みに起因すると考える. 実在的記述法に慣れた感覚からすると, 妙な感じがすると思うが, 言語的記述法とはこういうものである. ニーチェ(1844年--1900年)の有名な言葉:
$\bullet$ 「事実などは存在しない,あるのは解釈だけ」
を思い出そう. 測定理論は, 物理学とはまったく別の原理 (すなわち, 「言葉が先,世界が後」) から成り立っていることに注意すべきである。 注釈2.5で述べたように, 「○○とは,何か?」という問い掛け に対して真摯な態度を取らなかった理由は, 上の$(\sharp)$に依拠する. これが言語的世界観で、 すなわち、 "足を(=世界)を靴(言語)に合わせる" である。



$\fbox{注釈12.7}$ 20世紀の科学はいろいろあるにしても,3つ挙げるとしたら 相対性理論, 量子力学, DNA二重らせん構造の発見(ワトソンとクリック) だろう. クリックの著書「驚くべき仮説(The astonishing hypothesis)」の冒頭に,
$(a):$ You, your joys and your sorrows, your memories and your ambitions,your sense of personal identity and free will,are in fact no more than the behaviour of a vast assembly of nerve cells and their associated molecules.
つまり,
$(a'):$ 我々の心のいろいろな現象--喜び,悲しみ,記憶,志,自我,自由意志等--は非常に多くの分子と細胞の相互関係の表現に過ぎない
とヒューム(1711-1776)の考えに近い意見を述べている。
もちろん,クリックは「二元論」を否定しているわけではないと思う. 量子言語の主張は,
$(b):$ 一元論的な現象を,二元論的言語で記述する
のだから,クリックの主張(a)(=大部分の科学者の意見)は 二元論(=量子言語)と矛盾するわけではない.



サプリ
哲学と言ってももいろいろある。 ただし、 この本書的には、哲学の本流は、「世界記述の哲学」と断言して、
$(\sharp_1):$一元論的世界記述法を追究するのが、物理学の中心的テーマ
$(\sharp_2):$二元論的世界記述法を追究するのが、哲学の中心的テーマ
と主張したい。 これを主張するためには、
  • 「通常の量子力学(二元論的物理学)は物理学でない」
としなければならないわけで、この非常識の理論的裏付けとして「量子言語」というかなり大がかりな工夫が必要だった。 結局、次図を示した。
これならば、スッキリする。