「時空とは何か?」の問い掛けに対して、物理の観点からは健全な議論がされている。 しかし、哲学の観点からは情けないほどの非生産的議論が横行していて、「だから、哲学はダメなんだ」という世論の形成に一役買っているように思う。 哲学からのまともな議論は、「量子言語の時空」だけと思う。 以下にこれを説明しよう。
この節の議論は、次の論文からの抜粋である:

$\bullet$ S. Ishikawa: "Leibniz-Clarke Correspondence, Brain in a Vat, Five-Minute Hypothesis, McTaggart’s Paradox, etc. Are Clarified in Quantum Language"Open Journal of philosophy, Vo.8 No.5 2018, 466-480 (PDF download free),
$\bullet$ S. Ishikawa: "Leibniz-Clarke Correspondence, Brain in a Vat, Five-Minute Hypothesis, McTaggart’s Paradox, etc. Are Clarified in Quantum Language [Revised version]"Reseach Report ( Dept. Math. Keio Univ.) KSTS/RR-18/001 Or, Revised Version; Pilpapers (PDF download free)


「時空とは,何か?」は、伝統的哲学だけでなくて、現代科学においても 最重要の未解決問題である。 本節では、この問題に量子言語の立場から解答を与える。 当然のことであるが、

  • 世界記述法を提案したら、次は「時空とは,何か?」に答える

とか、 より正確には、
  • 世界記述法を提案したら、その世界記述法で「時空」を記述する

が原則である。 ニュートンはこの原則を守ったが、ライプニッツは、 世界記述法の提案なしに、『時空とは,何か?』に答えてしまった。 この結果:

  • [ニュートン vs. ライプニッツ]において、ニュートンの勝利にような印象が残ってしまった


そうだとしても、 ニュートンの「実在的時空」に対抗して、 ライプニッツは 「形而上学的時空」 の科学的意義を直感したわけで、やはりすごい。

上記のようなことを、量子言語の立場から以下に議論する。

10.7.1:"空間とは何か?" と "時間とは何か?"


10.7.1.1: 量子言語によって、「空間」を如何にに記述するか?

以下に、最も単純な場合について考えよう。 たとえば、
$(A):$ $ \qquad \qquad \mbox{"空間"=${\mathbb R}_q$(一次元実空間)} $
としよう。

古典系(B$_1$)と量子系(B$_2$)の両方を、次のように考える。

$(B):$ $ \begin{cases} \mbox{(B$_1$): 一次元実空間${\mathbb R}_q$}内の古典粒子 \\ \\ \mbox{(B$_2$): 一次元実空間${\mathbb R}_q$内の量子粒子} \end{cases} $
古典系の場合は、次の 状態 を想定して、 \begin{align*} \mbox{ $(q,p)$ $=$ ("位置", "運動量") $\in {{\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p }$ } \end{align*} であり、 古典基本構造:
$(C_1):$ $ \qquad [ C_0({\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq L^\infty ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) ] $
を得る。
また、量子系の場合は、量子基本構造:
$(C_2):$ $ \qquad [ {\mathcal C}( L^2 ( {\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q ) ] $
からスタートすることは、今までに何度も述べた。。


まとめると、 つぎの一般基本構造:
$(C):$ $ [{\mathcal A} \subseteq \overline{\mathcal A} \subseteq B(H)] \begin{cases} \mbox{(C$_1$):古典系 $ [ C_0({\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq L^\infty ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) ] $ } \\ \\ \mbox{(C$_2$):量子系 $ [ {\mathcal C}( L^2 ( {\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q ) ] $} \end{cases} $
を得たのであった

さて、量子言語では、基本構造からスタートするのだから、 "(A)$\Longrightarrow$(C)"の逆の議論をすればよい。 すなわち、次のように考えることになる。

\begin{align} & \mbox{ 「空間」を量子言語で如何に記述するか? } \nonumber \\ \Leftrightarrow & \mbox{ [(C):基本構造]から [(A):空間]を如何に導出するか? } \tag{10.29} \end{align} これは次のステップによって実現される。

主張10.17「空間」を量子言語で如何に記述するか?
$(D_1):$ 基本構造: \begin{align*} [{\mathcal A} \subseteq \overline{\mathcal A} \subseteq B(H)] \end{align*} から スタートする。
$(D_2):$ ここで、次を満たす可換$C^*$-代数 ${\mathcal A}_0 (=C_0(\Omega ))$ を考える: \begin{align*} {\mathcal A}_0 \subseteq \overline{\mathcal A} \end{align*}
$(D_3):$ このとき、 スペクトラム $\Omega$ $(\approx {\frak S}^p ({\mathcal A}_* ) )$ を使って、 "空間" を表現する。

量子言語による解答は簡単で、これだけのことである。
たとえば,
$(E_1):$ 古典系の場合(C$_1$): \begin{align*} [ C_0({\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq L^\infty ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p)) ] \end{align*} 次の 可換$C^*$-代数$C_0({\mathbb R}_q )$: \begin{align*} C_0({\mathbb R}_q ) \subseteq L^\infty ({\mathbb R}_q \times {\mathbb R}_p ) \end{align*} を考えて、 そのスペクトラムとして空間${\mathbb R}_q$ を得る。
$(E_2):$ 量子系の場合(C$_2$): \begin{align*} [ {\mathcal C}( L^2 ( {\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q )) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q )) ] \end{align*} 次の 可換$C^*$-代数$C_0({\mathbb R}_q )$: \begin{align*} C_0({\mathbb R}_q ) \subseteq B( L^2 ( {\mathbb R}_q )) \end{align*} を考えて、 そのスペクトラムとして空間${\mathbb R}_q$ を得る。






10.7.1.2: 量子言語によって、「時間」を如何にに記述するか?


量子言語の中で、「時間」は以下のようになる。
主張10.18 [「時間」を量子言語で如何に記述するか?]
$(F_1):$ 木半順序集合$T$を考える(第14章では、無限木半順序集合を議論する). いつものように、 各$t \in T$に対して、基本構造 \begin{align*} [{\mathcal A}_t \subseteq \overline{\mathcal A}_t \subseteq B(H_t)] \end{align*} を考える。
$(F_2):$ ここで、ある部分線形順序集合 $T' (\subseteq T)$を考え、これで "時間"を表現する。

量子言語による解答は簡単で、これだけのことである。



10.7.2: ライプニッツ=クラーク論争


前節の議論は ライプニッツ=クラーク論争(1715--1716)の ライプニッツの立場-- 時空の関係説 --を思い出させる。 ライプニッツ=クラーク論争における ライプニッツの立場とクラークの立場(=ニュートンの立場)を以下に整理しておく。


$(G):$ [実在的時空]
ニュートンの絶対時空では、時空は "もの" の入れ物と考える。 したがって、 "もの" が無かったとしても、時空は存在する。
他方、
$(H):$ [形而上学的時空]
ライプニッツの関係説 は次を主張する。
$(H_1):$ 空間の点は、 "もの"の状態の一種である.
$(H_2):$ 時間は、ものの推移の順序である。
したがって、 "もの" が無ければ、時空は存在しない。


そうならば、次の対立関係を考えたくなる。 \begin{align*} \underset{\mbox{(実在的観点)}}{\fbox{ニュートン($\approx$クラーク)}} \quad \underset{\mbox{v.s.}}{\longleftrightarrow} \quad \underset{\mbox{(言語的観点)}}{\fbox{ライプニッツ}} \end{align*} また、これは次の対立関係を連想させる: \begin{align*} \underset{\mbox{(実在的観点)}}{\fbox{アインシュタイン}} \quad \underset{\mbox{v.s.}}{\longleftrightarrow} \quad \underset{\mbox{(言語的観点)}}{\fbox{ボーア}} \end{align*} (cf.注釈4.4).


$\fbox{注釈10.6}$ 多くの科学者は次のように考えるかもしれない:
$\quad$ ニュートンの主張は納得できる。 事実、これはアインシュタインに引き継がれた。 他方、 ライプニッツの主張はわかりにくいし、 科学的でない
しかしながら、 世界記述の発展史(Figure 1.1 in $\S$1.1)を思い出してもらいたい。 すなわち、
$ \begin{cases} \mbox{(i)}: \underset{\text{(実在的科学観)}}{\text{ニュートン、クラーク}} & \cdots \overset{\text{(物理的時空)}}{ \underset{\text{"時空とは何か?"}}{ \fbox{実在的時空}} } \quad \qquad \text{(アインシュタイン等に継承される)} \\ \\ \mbox{(ii)}: \underset{\text{(言語的科学観)}}{\text{ライプニッツ}} & \cdots \overset{\text{(量子言語の時空)}}{ \underset{\text{"時空を如何に表現するか?"}}{ \fbox{言語的時空}} } \;\; \text{(スペクトラム、全順序集合)} \end{cases} $

ライプニッツの関係説は、明確でない部分もあるが
$\bullet$ ライプニッツは、科学における "形而上学的時空" の重要さに気づいた
のだと考える。 しかしながら、次は注目すべきと思う。
$(\sharp):$ ニュートンは、「ニュートン力学という言語」の下に、 時空の絶対説を主張した。
他方,
ライプニッツは、 「彼の言語」を提案せずに、 「日常言語」の中で、時空の関係説を主張した
これでは、ニュートンに分がある結末は目に見えていた。
ニュートンが「ニュートン力学」を発見する可能性より、 ライプニッツが「古典測定理論」を発見する可能性の方が大だったと思うが、 歴史はそうならなかった。



$\fbox{注釈10.7}$ 科学における大論争は、結局、 \begin{align*} \underset{\mbox{ }}{\fbox{実在的科学観}} \quad \underset{\mbox{v.s.}}{\longleftrightarrow} \quad \underset{\mbox{(観念論)}}{\fbox{言語的科学観}} \end{align*} だけなのかもしれない。 異論があることは承知で、下表を主張したい:
一般には普遍論争は非常に分かりにくいと言われている。 二つのテーマ:
  • 上の表の「実在的科学観(オッカム:世界が先で、言葉が後) vs. 言語的科学観(アンセルムス:言葉が先で、世界が後)」
  • 二元論(トマス・アクィナス:三元論)
がゴッチャにされて議論されたという歴史的経緯があり、それをそのまま書いて、普遍論争の説明としている哲学書が多いからである。

$\fbox{注釈10.8}$ 時空の問題は、哲学の中心的問題で、多くの考察が残されている。 ここで、 "測定者の時間" に関して多少のことを述べておこう。 言語的コペンハーゲン解釈によれば、
$(\sharp_1):$ 「いつどこで測定されたか?」は ナンセンスである。「いつどこで測定されたか?」を認めてしまうと、 「ウィグナーの友人のパラドックス($\S$11.4)」が生じてしまう。
$(\sharp_2):$ すなわち、 科学においては、「時制」は無意味である
$(\sharp_3):$ つまり、 「測定者の時間は存在しない」
と主張する。 これは、マクタガートの主張に似ている。 すなわち、
  • マクタガートのパラドックス: "時間は存在しない"
マクタガートのロジックは明確ではないが、 マクタガートは「主観時間(= (e.g., アウグステゥヌスやベルグソンの時間 )は存在しない」 と主張しているとするならば、しかも、 「主観時間=測定者の時間」 と考えるならば、言語的コペンハーゲン解釈と同じことを主張しているとも 考えられる。 したがって,
$(\sharp_3):$ マクタガートの主張やライプニッツの主張は、 言語的コペンハーゲン解釈の一つと考えたい。
一般に言えることであるが、

$(\sharp_4):$ 哲学(二元論的観念論)の失敗は(=哲学が役に立たなかった原因は)、
「言語を提案しなかった」ことである。


ウィトゲンシュタインが、
  • The limit of my language means the limit of my world
    私の言語の限界が、私の世界の限界
と、「言語の本質性」を強調したにも拘わらずである。「重要」と言いながら、「なぜ作らなかったの?」と問いたくなるが、「言語哲学の不思議」と言う以外に言いようがない。
皮肉な言い方をするならば、
$(\sharp_5):$ 哲学者たちは、言語 (i.e., 言語ルール1(測定:$\S$2.7) と言語ルール(因果関係:$\S$10.3) を知らずに、 "言語的コペンハーゲン解釈" (="言語ルール 1 と 2 の使い方") を議論していた
とも言える。