この節は,文献 S. Ishikawa, "Measurement theory in Philosophy of Science" $\quad$ arXiv:1209.3483 [physics.hist-ph] 2012 からの抜粋である. 次の二つの金言を思い出せば,「測定」と「因果関係」の重要性がわかると思う。

$(C_1):$ $\qquad$測定なくして,科学なし
$(C_2):$ $\qquad$科学とは因果関係についての知識である




10.1.1:「因果関係」の発見によって,近代科学が始まった

あることが起こるのには,その原因がある. これを 因果関係(causality) という.

  • 「火の無いところに,煙は立たない」


の格言を思い出せばよい. 当たり前のように思うかもしれないが, そんなに単純なことではない. たとえば,
$\bullet$ 今朝,気分が溌剌としているのは, 昨夜ぐっすり寝たからなのか? $\;\;$ または, 今から, 好きなゴルフに行く からなのか?
等を考えれば, 「因果関係」という言葉の使い方の難しさはわかると思う. 日常会話では, 「原因(過去)」,「理由(含意)」, 「目的・動機(未来)」が 混同されて使われることが多いからである.

運動・変化の探究の 嚆矢は, ヘラクレイトス(BC.540年頃 -BC.480年頃) の「 万物は流転する」 や ゼノンの師である パルメニデス(BC.515年頃に生誕) の 「運動は存在しない」 とされている. 当然の疑問として,

  • 2500年も経ったのに,何故,彼らの名前が残っているのか?


と思うだろうが,

  • それは,本章(正確には,本書全体)を読めばわかるだろう.


結論をここで言ってしまうならば,「運動・変化」が,科学(=「世界記述」)における 最重要キーワードであること, すなわち,基本的には, \begin{align*} \text{ [世界記述]= [運動・変化の記述] } \end{align*}

であること に最初に気づいたのは, この二人の先駆者  ─ ヘラクレイトスとパルメニデス ─ だったからである.

しかし, 運動・変化の本質について,更に追究したのは, アリストテレス(BC384年--BC322年)で, アリストテレスはすべての運動に「目的」がある,と考えた. たとえば石が落下するのは,その石が下に行こうとする目的があるからである. 煙が上がってゆくのも,煙は上に上がるという目的があるとした. アリストテレスの影響の下に, 「目的因」 は, 1500年以上もの長きの 間,「運動」の主流の考えとして生き続けた.たとえば,

$(A):$ 重い石は,「下に落ちよう」という強い目的を持っているから,速く落ちる( この迷信が信じられていたから,「ガリレオのピサの斜塔」伝説が有名になった. )
のである.

アリストテレスの「更なる追究(目的因)」は,称えられるべきことであるが, 「目的因が的を射ていた」とは言えなかった. 目的因から脱却して, 運動・変化の本質が 「因果関係」 であることを人類が発見するには, ガリレオ,ベーコン,デカルト,ニュートン等の出現を待たねばならなかった.

\begin{align*} 「目的因」から「因果関係」への転回 \end{align*} は,科学史上最大のパラダイムシフト ─ 「近代科学の誕生」と言っても過言でない程 ─ で, それ以後の「科学革命」を約束した. \begin{align*} \overset{\mbox{世界記述の誕生}}{ \underset{\mbox{(ヘラクレイトス, パルメニデス, ゼノン)}} {\fbox{運動}} } \xrightarrow[\mbox{アリストテレス :(約1500年間) }]{\mbox{"目的因"}} \overset{\mbox{近代科学の誕生}}{ \underset{\mbox{( ガリレオ, ベーコン, デカルト, ニュートン)}} {\fbox{因果関係}} } \end{align*}

$\fbox{注釈10.1}$ 現代的には,「因果関係」は常識化されているので, 当たり前と思うかもしれないが, 「因果関係」の発見は, 「地動説」や「進化論」 と並ぶ科学史上最大のパラダイムシフト ─ 3つともアリストテレス以来の自然観を打ち破った ─ である.この3つの中でも,「因果関係」は図抜けている.なぜならば,
$(\sharp):$ 科学とは因果関係についての知識,すなわち,「因果関係」という言葉 --- 「火の無いところに,煙は立たない」という格言 --- で表現できる現象 に関する学問である
と言っても過言でないからである. 日常言語の中での科学は, 数千年以上の歴史があるかもしれないが, 因果関係の発見以前と以後では,科学の質が違うと考えて, 「近代科学」とした.




10.1.2: 「因果関係とは,何か?」に対する4つの解答(a)--(d)


以上のように, 「運動・変化の本質は何か?」については, 「因果関係」 という言葉で,一応,決着した. しかし, これですべてが解決されたわけではない. 我々は,未だ 「因果関係」について十分な理解に至っていない. 実は,
問題10.1 問題:

  • 因果関係とは何か?


$\qquad \qquad$は 科学における最も重要な未解決問題である. これに答えよ.



もちろん,
  • 今日的意味での未解決問題である.


こう言うと, 意外に思う読者がいるかもしれない. 以下に, この問題に対する解答の 歴史を整理しておく.

$(a):$ [実在的因果関係]: ガリレオ,ベーコン,デカルト 等のアイデアの総決算として, ニュートンは,ニュートン力学という 実在的記述法を 提唱して,次のように考えた:
$\bullet$ 世界には,実際に「因果関係」が存在している. この実際に存在する「因果関係」を, 微分方程式 ─ 因果関係の連鎖の方程式 ─ で忠実に記述したのが,ニュートンの運動方程式である.
この実在的因果関係は, 極めて自然な考えで,これ以外に考えようがない と思うかもしれない, 事実,

  • ニュートン力学$\longrightarrow$ 電磁気学$\longrightarrow$ 相対性理論$\longrightarrow$・・・


と続く 実在的因果関係の潮流は, 科学の華 と言っていいだろう.


しかし, 別の考えもあって,以下のように3つの「非実在的因果関係」がある.
$(b):$ [認識論的因果関係]: 哲学者ヒューム,カント等は,次のように考えた:
$\bullet$ 世界には,実際に「因果関係」が存在するとかそうでないとか言えない. そして, 世界の「何か」を,我々が『因果関係』と感じたとき, その「何か」に「因果関係」 があると信じればよい
と主張した.
これを「一種のレトリック」と 思う読者がいるかもしれないし, 逆に, 「そう言われてみればそうかもしれない」 と納得してしまう読者もいるかもしれない. 確かに, 「因果関係」という色メガネで見ているから, そう見えるだけのことかもしれない. 因果関係の認識回路が脳内に 設置されていて, それが「何か」に刺激されて反応するときに, 「因果関係がある」 とするのが,カントの有名な「コペルニクス的転回 {(}すなわち,「認識が世界を構成する」)」 である. この (b)がそれ以後の科学に与えた実質的な影響については, 疑問を呈する方が多数派だと思うが, 本書では(下の(d)で述べるように),カントに最大限に好意的なストーリーを 採用する.



$(c):$ [数学的因果関係(動的システム理論)]: 動的システム理論は,工学における数学的手法として発展してきたので, 「因果関係とは何か?」を突き詰めた形で答えていない. しかし,
$\bullet$ 動的システム理論では, 状態方程式、 すなわち, 時変数一階連立微分方程式 : \begin{align} & \begin{cases} \frac{d\omega_1}{dt}{} (t)=v_1(\omega_1(t),\omega_2(t),\ldots,\omega_n(t), t) \\ \frac{d\omega_2}{dt}{} (t)=v_2(\omega_1(t),\omega_2(t),\ldots,\omega_n(t), t) \\ \cdots \cdots \\ \frac{d\omega_n}{dt}{} (t)=v_n (\omega_1(t),\omega_2(t),\ldots,\omega_n(t), t) \end{cases} \tag{10.1} \end{align} という数学が先にあって, その方程式で記述される現象に, 「因果関係」があると考える.
となる.
理系の普通の感覚では, 「時変数微分方程式=因果関係の時間的連鎖」 と何となく思っているのだから, この(c)は了解し易いかもしれないが, 日常言語の中に埋没した数学という形の 典型的な例であることには 注意すべきである. ただし, 「役に立つ」という意味では,(c)はもっと 評価されるべきと考える. ピタゴラスの
  • 「万物は数である」
もまんざらではない。



$(d):$ [言語的因果関係(測定理論)]:

測定理論の因果関係は,本章の言語ルール2で決まる,詳しくは:

$\bullet$ 測定理論は2つの言語ルール1と 言語ルール2 からなるが,因果関係に関わる のは言語ルール2である. ある現象を量子言語という言語で記述して, 言語ルール2を用いる場合に, その現象は因果関係を持つとする.すなわち,ヒュームやカントの「脳内の因果関係の認識回路」を,「言語ルール2という呪文」に置き換えて,つまり, \begin{align*} \underset{ヒューム・カント}{\fbox{脳内の認識回路としての因果関係}} \xrightarrow[言語論的転回]{} \underset{量子言語}{\fbox{言語としての因果関係}} \end{align*} である.


要約 10.2
(a)--(d)を まとめると,
$\qquad$ (a) 世界が先$\;\;$ (b) 認識が先$\;\;$
(c) (日常言語の中に埋没している)数学が先 $\;\;$ (d) 言語(測定理論)が先
の違いである.
さて,何度も言っているように,測定理論は次を主張する:
$(\sharp):$ $ \qquad$ 量子言語は,諸科学を記述する基礎言語である.
もしこれが承認されるならば, 次が主張できる. すなわち,
$(\flat):$ $\quad \quad$ 諸科学において, 因果関係とは上の (d) で主張したものである.
と言える.これが, 「因果関係とは,何か?」に対する 測定理論の解答であり, 次節以降に,この詳細を説明する.


$\fbox{注釈10.2}$ 測定理論の副産物の1つとして, 形而上学的立場 (アンチ物理至上主義の言語的立場) からの未解決問題:
$(\sharp_1):$ 時間,空間,因果関係,確率 とは何か?
に答えることができる. 形而上学では, 「○○とは何か?」に解答すること は, ○○という言葉の使い方を定めることである(cf. 注釈2.5). すなわち,
$(\sharp_2):$ 「○○とは何か?」 $\begin{cases} \mbox{具体論の答え方---◯◯ の実物を見せる} \\ \\ \mbox{一般論の答え方---◯◯という言葉の使い方を指定する} \end{cases} $
である. したがって, 上の($\sharp_1$)は,次の($\sharp_3$)と同値で,
$(\sharp_3):$ 時間,空間,因果関係,確率 という言葉を含む 言語的世界記述法を提案すること
となる. もちろん, この答えとして, 本書では, 測定理論 (すなわち, 言語的方法の確立)を提案しているわけである.そうならば,いまのところ,
  • 言語ルール1によって,「確率とは何か?」には答えている
ことになる.この章では,「時間,空間,因果関係」について,答える.